クワガタムシ科(Lucanidae)についての調査記録など

目的はverificationismに基づく原典検証・情報整理・批評説明。なお非営利・完全匿名を前提としています。

【Textkritik】無意味な論文で優位性をアピールするな

 論文での記載では一定の「体裁」を出版社が決めていて、それは出版社によりやや異なる。これが厳しい科学誌ほどインパクトファクター指数が高い。しかし、体裁が厳しいからと言って良い論文という訳でも無いし、著者によっては出版社に従うだけ従い、別な出版社の論文では思いっきり曖昧な表現にする人もいる。読者によりけりで要求される精度が異なると言えば異なる。しかし、ときおりそういう最低限の体裁を踏み抜いたような論文が学者著で出てきて度肝を抜かす。

 非常に分かりやすい簡単な例は2014年の「サヌチフタマタクワガタ再記載」である。この論文はある意味でインパクトファクターが凄くある。

 サヌチフタマタクワガタの原記載では89mm(巷では79mmの計測ミスという説もあるが私は未見)のホロタイプに指定した標本に基づき、ニグリトゥスフタマタクワガタと比較され、昆虫フィールドなる雑誌で出版されている。実際的には複数標本を揃えたり、近似するパリーフタマタクワガタ各亜種がいるのだから其れ等分類群標本も比較に加えて近縁グループ内での網羅的検証が必要であるのに対し、非常に検証不足の多い状態で記載されているというのはある。とはいえ其れは、そういう知識の全く無い雑誌で出版されたからというのみが問題を増幅させたくらいであり、国際動物命名規約的には学名としての適格性を持つ。後々に結果論的にはサヌチフタマタクワガタが独立種として、各所の累代検証や私自身の標本検証でも赤紋型と黒化型の出る独立種である事に疑いようがない時代にはなったが、記載時点ではパリーフタマタ各亜種との差異がモヤモヤする体裁であった。

f:id:iVene:20211212124231j:image

(私が揃えた当該近縁グループ。ニグリトゥスフタマタクワガタとサヌチフタマタクワガタは近似し、マキシカクワガタやペロッティベトナムシカクワガタも参考にする)

 そして後年の2014年「原記載が簡略過ぎて特徴が掴みにくい上に、記載以降、追加標本がごく僅かしか採集されていないために、その分類学的扱いに少なからず混乱が生じていた。」として再記載論文が出てきた訳だが、読んで見てビックリなんじゃこりゃという体裁だった。先ず再記載に使用した標本の外観がホロタイプとは異なる(ホロタイプでは鮮やかに赤いエリトラの模様が、再記載では完全に黒い個体を使用されている)、しかも死骸で拾った損傷の激しい個体だから交尾器が無いとある。産地は近いという事だが、種同定に必須な交尾器が同形態程度であると証明出来ない外見も変異かもしれないが別種かもしれないくらいに異なるたった1個体を用いて、完全同定したかのような言い回しをしてある。普通の科学誌ならば絶対に許されない比較方法であるのにも関わらず出版されているという事実が眼の前に堂々と鎮座している。査読付きの会誌だが、これなら査読が無いのに等しい。

 結局自身で標本を集めて調べないといけなくなった。

 さて、検証に使用されたという個体もなんだか怪しい。図示を初めて見た時から違和感があったが、友人と議論していてどんどん疑惑が深まった。交尾器が欠損するほど外灯下で吹きっ晒しに遭ったとされた死骸でありながら外骨格表面にはキズが無く(エリトラ先端に割れがある程度)損傷が激しいと記述される割にピカピカで、付節が全て残っていて片方の触角に欠損がある程度である。体表に付着するオガクズ片は殆ど等サイズで、吹きっ晒しに遭った野生個体の死骸にしては体表篆刻の溝に泥が全く付いていない。こういう死骸について、私は幾度も見た事がある。交尾だけのために使用された♂のブリード管理下で死亡した腐食死骸という状況に非常によく似ている(プリンカップなどの飼育容器の中で市販のオガクズを敷いて飼っていただけの個体ならよくある光景)。外灯下で拾われた吹きっ晒しの死骸でここまでキズもなく綺麗な表面の個体は見た事が無い。

 ちなみに外灯下で拾われたという死骸もいくつか見た事があるが、大抵に体表の古キズ(傷跡が丸くなっていて下部露出構造の白いクチクラ繊維が泥色を含んでいる)が少なからず有り、翅や点刻溝に泥が少量〜大量に付着し、前胸側縁やエリトラ側縁にもキズが入り、触角よりも脚が欠損している確率が高い。

 再記載論文の記述も不可思議な検証も不満であるし、図示個体も再記載に必要な資料としての要件を満たしているとは思えない。原記載論文は確かに簡単過ぎるとは思うが、だからと言ってこの再記載論文も予断が過ぎるしなんだかなぁ、という感想が付く。質としては五十歩百歩、ドングリの背比べという所に見えるのだが、じゃあだからこそこんなに意味の無い方法で優位性をアピールするような再記載は読者には不要と言える。

【References】

Fukinuki, K., 2004. The stag beetles (Coleoptera, Lucanidae) for descriptions of the new species. Koncyu Field, (39): 28-33.

Lacroix J.-P., 1990. Description de Coleoptera Lucanidae nouveaux ou peu connus (7eme note). Bulletin de la Sociètè Sciences Nat, (65): 11-14.

Araya, K., 2014. A redescription of Hexarthrius sanuchi Fukinuki, 2004 (Coleoptera, Lucanidae) from Cambodia. Kogane (16), 103-106.

【追記】

 飼育個体をホロタイプにしたり、それと同等の扱いにしてはいけない。幼虫〜蛹時での生活環境によっては、少なからず細部形態が野生下での基本的な形態から離れて成虫となる場合があるから、robustnessな資料になりにくい。もはやよく注意される懸念である。野生下とはいえ、飼育下で頻発するような型の個体が低確率で出現する。しかし飼育個体を野外個体だと嘯かれると、これは難しい場合が多くなる。即ち、原産地野生下で得られた標本検証が不可欠になり、また詐欺師も増えて将来的には飼育規制や採集規制の見通しが立つ訳であり、独占研究出来る特権者らは胡座をかきながら殿様商売出来る訳である。

 しかしグループ界隈からして他者には厳しい意見をしている派閥ほどだが内輪での自浄作用の全く無い感じは凄い。諫言しもしないなんて人間関係が歪だったりするのかと心配にすらなる。結果的にはダブルスタンダード極まれり。やはり寡占演出のために事実整理よりも看板を優先する組織なんだろうなと改めて思い知らされる。内輪で保身していくこういうのは客観的に見てエスノセントリズムに見える。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%8E%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0

 私はどちらかと言うと個人主義的だが、いずれにしても可謬主義の考えに沿って考えたいと思っている。なお且つ無限後退の論理に引きづられないようにも気をつけている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%AF%E8%AC%AC%E4%B8%BB%E7%BE%A9

f:id:iVene:20211212124254j:image

(パリーフタマタクワガタ群。インド北東部産、ミャンマー産、タイ産、雲南省南西部産、ラオス北西部産、またデータ真偽が怪しいカンボジア北東部産ラベルの個体。資料はとにかく揃える。だが入手時は今よりもずっと安価だった。検証目的で沢山集めようとすると今代ではどれくらいコストがかかるのか、考えただけでゾッとする)

 しかしそういう思想で書かれた其れは"愚民観"がダダ漏れではないのか、なんて言いたくなる光景を論文で見た時には、こっちばかり恥ずかしい気分になる(社会の窓が開いているのを見つけてしまった時のような感情)。

現実というものはいつも公式からはみ出すものである。
(ジャン・アンリ・ファーブル)