クワガタムシ科(Lucanidae)についての調査記録など

目的はverificationismに基づく原典検証・情報整理・批評説明。なお非営利・完全匿名を前提としています。

【論考】「客観的な希少性」と「実際的な希少性」

 虫を見ていく上で様々な分類群を見る機会がある。初心者でもゆくゆくは希少性という概念を知る事になる。だがこの「希少性」という言葉の裏には色々な要素が絡み合っていて結局は「客観的な希少性」であり、「実際的な希少性」では無い事の方が多い。絶滅種や絶滅危惧種などでは無い限り、相手はやはり「虫」なのである。

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 上に図示するは其の代表例であるコンフススアラスジクワガタ:Aegognathus confusus Arnaud & Bomans, 2006であるが、そこらで個体群に出会す事は先ず無い。しかし今から12〜13年前、私は少数の本種個体群(sold outだったが)を含めペルーのクワガタを複数扱っていたドイツの標本商に在庫を聞いてみた事があり「え?ちょっと少ないだけで普通種だよ?」という意外な答えが返ってきた。「でも全然見ないじゃないか」という疑問に対しては簡単な答えしか返ってこない。「現地キャッチャーの気まぐれで採集されるから」と、なるほど残念。南米の小型で歩行性のクワガタ種は、アンデス山脈近辺では局所分布により細分化している場合が多い。高標高になるほど隔離も進んでいるから面白いのだが、現地で虫取りして生計を立てられる人達も少ないから、当然色々な産地をあたろうとすると種によっての希少性を確かめるような余裕が無い難しさがある。希少性を確かめるなら数十年間毎年最多産地の同じ場所で個体数を記録しなければならない。コスパがわるすぎる上に超長期間の調査になり誰もやらない。コンフススアラスジに関しては、ebayで小型パラタイプが出た事もあったが、私は此の話を知っていたので流した。ドイツの標本商との一件以降、十余年のあいだ私は悶々と待つ訳だが、後に沢山の個体が出てきたのでなるべく沢山落札したのである(有名種ではないのでまぁまぁの安価入手に成功した)。マトモに採集されていないだけで希少種と思い込まれているだけの種だった訳だ。

 他には現地情勢や治安が問題で客観的希少種になっている分類群もある。これはもうどうしようも無い。私も未入手の間に規制や情勢悪化されると大抵は諦める。大体、規制されてしまったなんて話がもう興醒めである。是非も無し。

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ワシントン条約による規制種として象徴的なプリモスマルガタクワガタ:Colophon primosi Barnard, 1929。交尾器形態も変わっている。生息域は狭く生態観察は大変との事。マルガタクワガタ属は論文でレビジョンが出る度に「ブラックマーケット」が記述される。闇市の事である。過去オーウェン氏のみ調査採集を許可されていた頃だと入手の可能性があったが今は引退されたので入手は無理難題となった。複数個体揃えるなど夢のまた夢。無念である。)

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ミャンマー・カチン州プタオのマナミヤマクワガタLucanus manai Bomans et Miyashita 1997(左)と、インド北東部〜チベットのニシュウインミヤマクワガタLucanus nyishwini Nagai, 2000(右)。※ニシュウインミヤマはミャンマー産が原亜種であり、インド〜チベット産を亜種L. n. bretschneideri Schenk, 2008として記載されているが単なる地域変異との説もある。いずれも個体数が少なく実物を観るのも難しい種群だが、私が図示のマナミヤマを入手出来たフェアで「小さいクワガタだ」と知らない人に嘲笑混じりで馬鹿にされた事がある。面白い反応に逆に笑ってしまいそうだったが、無知は罪であると客観的に知ることが出来た貴重な体験だった。とはいえマナミヤマに関しては日本国内の大コレクターの一人が沢山揃えていて驚いた事もある。過去、こういう種群は人海戦術で採集しても数が揃いにくかった歴史がある。)

 他例では人為的に出品数を操作されている種もある。倫理的に如何になものかと考えるが、"商売用"に「普通種」「希少種」を演出されている分類群である。私の個人的知見だが中国のラエトゥスミヤマクワガタについては、商売用にわざと安価で卸しているという中国人業者が居た。本来は珍しいのだという事で意外な話だった。単純に現地商売人達の商業ルート取り合いが原因でダンピングされてしまう事もある(競合業者が出てこないように予め相場を下げておくという商法である)。また記載される迄は複数見られていたのに、規制や環境破壊による何も影響が無いのにも関わらず記載以後パッタリ見なくなった種などは其れがある場合がある。

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ベトナムのフジタミヤマクワガタ:Lucanus fujitai Katsura & Giang, 2002. 記載前には少量ながら複数の流通があった。記載以後希少と言われていた時代には大型個体しか出回らず不自然であった。近年近縁種グラディウスミヤマクワガタLucanus gradivus Sato & Zilioli, 2017が記載され、其種が未記載種でフジタミヤマとして流通した頃に流通しなかったフジタミヤマが入れ替わるように流通しだした。其の状況は何だったのだろうか。現地で一体何が起こったというのか!)

 昔は観るのも難しかった種が、今では沢山出てくるというのもある。一概に客観的希少性は語れない。

 しかし一方で、真に、実際的に希少種というのも存在する。其れを確かめるのに最も好例が多いのもやはりベトナムである。ベトナムの昆虫はebayで無尽蔵の如く出品されている(これも倫理的に良い事とは思わないが)。そして過去ヨーロッパ〜日本でも頻繁に輸入され、また研究報文が多くある。あのエリアだけで種数密度が凄いのがベトナムである。大抵の種は普通種のように見つかるが、その中で極僅かしか得られていない種が希少種という訳である。真の希少性というのは全体の生物数を分母とした数値からの確率でしか分からない。

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ベトナム北部で見つかっているヴェルナーネブトクワガタ:Aegus werneri Nagai,1994(?)。※当分類群には未検証な事が多い。最近は雲南省側でも見つかっているらしいが、私個人的には25年間で図示の潰れた1頭しか入手のチャンスに出会えなかった。単純に採集法が不明だからかもしれないが、同属他種に比べ少な過ぎる。)

 発生数に10年程度の周期がある種もいる。メカニズムは異なるだろうが客観的に見れば周期ゼミのように複数個体の発生年がある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%A8%E6%9C%9F%E3%82%BC%E3%83%9F

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ベトナム南部にいるバオンゴクマルバネクワガタ:Neolucanus baongocae Nguyen, 2013は、8〜10年周期で発生数が多い年があるとの噂。実際に採集に行った邦人グループに聞けばシーズンを外して採集出来なかったと話す。詳しい発生年の波は未だ掴みきれていない。こういう例は現地在住で毎年採集している人達にしか分からない。)

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(昔からインド北部に産するとして有名なウエストウッディオオシカクワガタ原名亜種:Rhaetus westwoodii westwoodii (Parry, 1862)も現地では10年程度の発生周期の波を予想されている。画像の93.0mmや90.2mmは飼育個体だが、野生下では発生年に会えるか会えないかのようなサイズである。95mmオーバーが採集されたら宴会騒ぎだったらしい。流石に古系統甲虫のクワガタムシ科だとこういう周期的な例も複数ある。)

 そしてブラックボックスエリアに居るから見つかっていないだけの種、また殆ど誰も探さない"裏シーズン"にしか居ないから見つかっていないだけの種もある。其れを知る事が出来る人は限られる。

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(インド北東部〜チベットに分布するヴェムケンノコギリクワガタProsopocoilus wemckeni Schenk, 2017(左)と中国内陸部に点々と分布するヤンシカノコギリクワガタProsopocoilus (Kirchnerius) yangi Fukinuki, 2004。※なお属名Kirchnerius Schenk, 2009については当ブログにて亜属として使用するため、国際動物命名規約第四版 条51.3.2に従い著者名と日付けをくるむ丸括弧を外す。※またヴェムケンノコはStag beetles of China IIIにてスズムラノコギリクワガタProsopocoilus suzumurai Nagai, 2000の亜種分類にされているが、どうやら別種のようなので独立種として扱う。ヴェムケンノコの方は原産地でもなかなか見つからない。低標高に局所的な生息域があるのかよく分からないが個体数は微々たるものである。一方でヤンシカノコの方は多産地があり沢山見つかっている。単純に売買されていないだけで物珍しいとされている。)

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(ヤペン島のAegus sp.、すごいボロボロながらebayでかなり競り上がった。イリアンジャヤ・ジャヤプラから1♀のみで記載のあるAegus marginivillosus De Lisle, 1967かもしれないが分からない。ヤペンとジャヤプラに行っていた邦人に頼んだが見つからずであった。同定は現状保留。そういう種もいる。)

【References】

Arnaud, P.; Bomans, H. 2006: Descriptions de deux genres et quatre nouvelles espèces de Coléoptères Lucanidae du Pérou. Besoiro, (12): 2–7.

Barnard, K.H. 1929. A study of the genus Colophon Gray. Transactions of the Royal Society of South Africa 18(3):163-182.

Mizunuma, T. & Nagai, T. 1994. The Lucanid beetles of the world. Mushi-sha Iconographic series of Insects. H. Fujita Ed., Tokyo 1:1-338.

Mizukami, T., & S. Kawai, 1997. Nature of South Africa and ecological notes on the genus Colophon Gray. Gekkan-mushi , Tokyo, Suppl., (2): 1-79. (In Japanese)

Katsura, N.; Giang, D-l. 2002: Notes on the genus Lucanus (Coleoptera, Lucanidae) from northern Vietnam with description of two new species. Gekkan-Mushi, (378): 2–14. ISSN: 0388-418X

Quangthai, N. 2013. Description of a new species of the genus Neolucanus Thomson, 1862 from central Vietnam. Zootaxa 3741(3):377-384.

Parry, F.J.S. 1864. A catalogue of lucanoid Coleoptera; with illustrations and descriptions of various new and interesting species. Transactions of the Entomological Society of London (3)2:1-113.

De Lisle, M. O., Note sur Quelques Coleoptera Lucanidae Nouveaux ou peu Connus, Revue suisse Zool. 74 (2): 521-544

Sato, J.; Zilioli, M. 2017. Lucanus gradivus n. sp. from Vietnam, with new records of L. fujitai Katsura & Giang from Vietnam and Laos (Coleoptera, Lucanidae). Natural History Sciences. Atti Soc. it. Sci. nat. Museo civ. Stor. nat. Milano, 5 (1): xx-xx, 2018: 11–15.

Bomans H.E. & Miyashita T. 1997. Description de trois nouvelles espèces de Lucanidae du nord Birmanie , Besoiro 4:2-3

Nagai, S. 2000. Twelve new species, three new subspecies, two new status and with the checklist of the family Lucanidae of northern Myanmar. Notes on Eurasian insects Nr.3 Insects :73-108.

Nagai, S. 2000. Notes on some SE Asian Stag-beetles (Coleoptera, Lucanidae) with
descriptions of several new taxa. Gekkan-Mushi, 356, p. 2 - 9

Schenk, K.D. 2008. Contribution to the knowledge of the Stag beetles of Asia (Coleoptera, Lucanidae) and description of several new taxa. Beetles World 1: 1-12. 

Schenk, K.D. 2017a. Prosopocoilus wemckeni, a new species from north-east India, Arunachal Pradesh (Coleoptera, Lucanidae). Beetles World15: 17-19. Reference page. 

Schenk, K.D. 2009. Beschreibung einer neuen Gattung, zwei neuer Arten und einer neuen Unterart der Familie Hirschkäfer aus China, Provinz Guangxi. Beetles World 2:1-6.

Huang, Hao & Chen, Chang-Chin, 2011, Notes on Prosopocoilus Hope (Coleoptera: Scarabaeoidea: Lucanidae) from China, with the description of two new species, Zootaxa 3126, pp. 39-54: 39-41

Huang, H. & Chen, C.C. 2017. Stag beetles of China III. Formosa Ecological Company :1-524.

Fukinuki, K. 2004. Descriptions of new species for Lucanidae. Insect Field, 39, 28 - 33. [In Japanese].

【追記】

 長年やっていないと、この色々な要素に振り回される感覚は分からない。

1分間さえ休む暇のないときほど幸せなことはない。働くこと、これだけが生き甲斐である。
(ジャン・アンリ・ファーブル)