クワガタムシ科(Lucanidae)についての調査記録など

目的はverificationismに基づく原典検証・情報整理・批評説明。なお非営利・完全匿名を前提としています。

ある「記述」についての検証~Lucanidae of Siberian amber?~

 調べているうちに、「シベリア産琥珀からクワガタムシ科甲虫が出ている」という記述があるらしい文献に当たった。なので文献を取り寄せる事に。

 シベリアンアンバーは約105.3 - 84.9 myaの白亜紀のものだそうで、となるとローラシアが分離した約200 - 170 myaには北半球にクワガタが居た事を示唆している。

https://antwiki.org/wiki/Taimyr_Amber

 私の仮説ではローラシア分離ごろの三畳紀クワガタムシが出現したと考えており、もし独立したローラシアクワガタムシが分布していたとなると、其の仮説の有力な補強資料になる。ただ、クワガタムシ科が出現した頃は南半球の一部から分布拡大をしようとはしなかった可能性もありうる(その頃は小型種ばかりで、当時高温で過酷な環境だった赤道を突破しようとしなかったかもしれない)。三畳紀に出現していたか否かを調べるには、おそらく南半球の化石を調べなくてはならない。

https://www.kerbtier.de/Pages/Themenseiten/enPhylogenie.html

 三畳紀というとクワガタの化石は見つかっていないが、白亜紀のクワガタ化石(現状未公開、そのうち記事化)から生物的進化変遷を考えると、そのくらいが始祖と逆算可能である(仮説であるので間違いかもしれない)。

 はてさて、ではシベリアンアンバーのクワガタとは??

 文献を入手したので早速開いてみる。147ページ。記述はこうである。

 Lucanidae (stag beetles). These moderately large, robust beetles are usually associated with trees, and the larvae develop in decaying wood. Species of Dorcasoides, Paleognathus, and Platycerus have been described from Baltic amber, and the family is also represented in Siberian and Dominican amber (Spahr, 1981A) (Appendix B).

 なるほど。285ページのAppendix Bを参照するとDominican amberのリストにクワガタムシ科が記述されている。Syndesus ambericus Woodruff, 2009のタイプになる標本である。Woodruff, 2009によれば、1983年にドミニカ共和国へ訪れ、故Jacob Brodzinsky氏のDominican amberコレクションの識別を手伝ったそうで、この時「未知の甲虫化石」とされていたものをクワガタムシ科と同定し、それに基づきPoinar(1992: 285)に記載されたとある。

 となるとSiberianの方はSpahr, 1981Aを参照したと言う事だろうか。文献を引いてみる(以下URL)

https://www.zobodat.at/pdf/Stuttgarter-Beitraege-Naturkunde_80_B_0001-0107.pdf

 ん?あれ?シベリア琥珀のクワガタなんて全く記述が無いぞ。クワガタムシ科としてリストされているのはバルト琥珀からとされた3既知分類群のみである。おいポイナー、いったいどういう事なんだ。

【Reference】

Poinar G. O., Jr. 1992. Life in amber Stanford, CA: Stanford University Press.

R. E. Woodruff. 2009. A new fossil species of stag beetle from Dominican Republic amber,with Australasian connections (Coleoptera: Lucanidae). Insecta Mundi 0098:1-10

Spahr, U. 1981A. Systematischer Katalog der Bernstein-und Kopal-Käfer (Coleoptera). Stuttgarter Beitr. Naturk. (Serie B) 80: 107 pp.

【追記】

 考えてみれば、図鑑や適当な書籍でクワガタムシ科甲虫化石種と確信出来るマトモな図示に出会えた事が無い。

 論文にしてもそうなのだが、人と違い奇抜な事を言ったり、或いは目立つような事をしているような表現で注目を集める事が、職業研究者らでは死活問題に近い人が多い。SNSで"バズり"を起こす事を目的にしているようなものだ。古い時代から歴史が示している通り、真実に基づき真摯に考える人は、その時代にあった知識を用いて注意深く思慮深い思考をする傾向がある。しかし曖昧な思考や実績で勝負を仕掛ける人は間違えてしまいやすく、また気付いたところで更に嘘に嘘を固めていき、オーディエンスの眼を真実から逸らそうと必死になる。

 たしかに、パトロンとなる人物から資金提供をしてもらっている場合は、良い結果をこれでもかと急かされる。しかし、カネが全ての世の中になれば、それは最早どうしようも変えようが無いディストピアな社会構造になるのだ。だから予め、若く学者を目指す人には「功を焦るくらいなら研究者になるな、研究に関わるな」と私から助言しておきたい。

 中世の時代、科学研究は欧州貴族が嗜むようなものであり、現在のように一般庶民が関わる事は、殆ど無かった。現在に比べれば、パトロン要らずで独断と偏見に満ちた時代である。下記に面白い例を引用してみる。

 Pierre François Marie Auguste Dejean(1780年8月10日~1845年3月17日)は、フランスの昆虫学者である。ナポレオン戦争で活躍し、ナポレオンの補佐官として中将にまで上り詰めた。彼は膨大な数の甲虫類を収集し、中にはワーテルローの戦場で収集したものもあった。1837年には22,399種のコレクションを公開しているが、これは当時、世界で最も偉大なコレクションであった。1802年、彼は22,000種の種名を含む膨大なコレクションのカタログを発行し始めた。Dejeanは命名法における優先順位の原則に反対していた。というのも、「最も古いものではなく、最も一般的に使用されている名前を維持することを常に規則としてきた。なぜなら、一般的な使用に常に従うべきであり、すでに確立されたものを変更することは有害である。」と考えたからである。Dejeanはその通りに行動し、他の著者が既に発表した名前を置き換えるために、自分で付けた名前をしばしば文章に導入した。それらは無効となった。https://en.wikipedia.org/wiki/Pierre_Fran%C3%A7ois_Marie_Auguste_Dejeanより一部抜粋和訳)

 いまから200年ほど前、とっくの昔だが命名法の先取権に反対しポピュリズム化を図ったDejeanは、命名規約から見事に其の方針を却下された。大衆迎合を優先目的とすれば、生物種名などの科学的学術用語が古典として安定しないからである。よって、Dejeanが記載した生物名は大抵が無効記載の裸名(nomem nudum)とされる。Dejeanの活動は、命名法施行の黎明期にされた事であるので時代考証的にも未だ情状酌量の余地が考えられるが、これと似たような事を科学技術の発達した21世紀になった現在でもやってしまおうとする残念極まりない人達がいる。

 科学に対する興味を一般的に広める事は大切だろうが、2021年現在、そんな子供向けの活動はネット上でも溢れに溢れている(検索妨害かとすら思うくらいにまとまりが無い)。その程度の新規性が殆ど無い活動ならば誰でも大したコストをかけずに情報収集と拡散が出来る。故に、もし仕事として科学研究をしたいならば、パイオニア的な仕事をしなければならないが、そんな事を20年そこらぽっち学校で暗記学習しかしてこなかった人達に出来るかというと甚だ疑問なのである。

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〈Drawing of Pierre François Marie Auguste Dejean (1780–1845), French entomologist, Lithographie par Jacques Llanta, about 1850〉