クワガタムシ科(Lucanidae)についての調査記録など

目的はverificationismに基づく原典検証・情報整理・批評説明。なお非営利・完全匿名を前提としています。

琥珀や化石中のクワガタ(stag beetle)の見分け方について

 琥珀や化石からクワガタのような虫が見つかった場合、大抵が見た事も無い形態だったり、状態も悪いものが殆どです。なので、同定するなら精査を要求されるわけですが、しかしじゃあ世の中にあるクワガタムシ科(Lucanidae)、stag beetleって何?どんな形ならクワガタなの?という一般概念の問題に衝突します。普通なら詳しく形態的特徴を定義されていて、簡単に理解できると思われがちですが、どの文献上でも「クワガタムシ科」として的を得た平易明解な表現がなされていません。なので一般的な概念は曖昧化されており、再現性の低い記述が多くあるおかげで学術的定義の信頼度が低い現状があります。例えば、厳密では無い、或いは敢えて誤った使用をされ、誤った理解が広まっていながら効果的な対策が取られていないですよね。これでは琥珀中に入る見慣れない形態のクワガタらしい甲虫なんかを見つけても、本当にクワガタなのか否か確信を持てません。

 ヒラズゲンセイなど似た別の科の昆虫を「クワガタ」という単語で呼称される事例と、実際のクワガタムシ科を同定される「クワガタ」の単語使用の事例の関係は、同音異義語の関係です。そこから来る弊害の影響で、更に曖昧な概念化をしている人ならばタマムシやDynastinae亜科ヤマトカブトムシとクワガタの違いすら知りません。虫入り琥珀を市場に出す人達や研究者でも、近似の別科ならば頻繁に間違えますから、間違えないためには現生種の網羅的な観察が不可欠になります。

 少し知っている人はそんな状況を嘲笑うかもしれませんが、そういう人は思い出してみて下さい。全く知らなかった頃は何とか色々調べて色々興味を持ちながら理解していったでしょう。知る気が無い人に教える意味はありませんが、知らなかった一般の人が興味を持つ事に妨げになるような態度は控えるべきですね。とはいえ、まとまった説明をする文献が見当たりません。

 はてさて、少し多種多様な標本を数千頭ばかり調べてみると、なるほどそういう意味なのかと、これまでより詳しく知る事が出来るかもしれません(詳しくまで識別しようとすると幼虫の形態なども調べたり結構大変ですから成虫のみ記していきます)。

 初めて定義が載る文献が出版されたのはLatreilleによる1804年のものとされています。その頃は近似別科の記載はそこまで進んでいませんでしたので、現在の定義よりは曖昧でした。

 では私が自身の持ちうる1200種以上のクワガタムシ科標本調べと文献から補足した限りになりますが、現在の形態的知見(主にHolloway, 2007)を用いて判別に関する要点を簡単に列挙していきます。

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 今回はメインの例としてチリハネナシクワガタApterodorcus bacchus (Hope, 1845)の標本を使い、各々の部位に其の名称を付記した画像を作りましたので、それらを用いて説明していきます。

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 ♂♀ともに、各部位の形態比率がどうかの観察が要される。

 識別するには先ず体型がクワガタ的かどうか知っていなくてはならない。大抵は「卵型」や「筒型」と表現されるが、その程度なら別科でもありうる。とりあえず扁平な種が、現生種に多い。

 一般的な知識から想像されているより大顎は大きくても小さくても良い。上唇が節として見え無い(融合した頭楯として備わる)。

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 クワガタムシ科の体型は、多様であるが有限でもある。他の科と似通う形態、間違いなく異なる形態が如何なるものか、よく覚えて考えなくては概念化が叶わない。

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 下唇基板もクワガタらしい特徴の一つ(ケシキスイ科にも似た形態がある)。

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 前脚ケイ節外縁の棘列も、クワガタムシ科などのコガネムシ上科ならば、よく見られる形態である。

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 触角は大抵の種で10節以下の構成(例外的にマメクワガタ類や、ツメカクシクワガタ類の一部の種は見かけ上8〜9節構成)。細長い第1節、鞠状の第2節、第8〜10節で末端となり先端節前縁端は丸みを帯びる。中間節のいずれか〜先端節でラメラ(片状節)が棍棒状部を構成しており、触角が前方を向いた時の状態で観察された場合、片状節は内側に肥大していて、棍棒状部は全体に扁平な構造をしている(ドウイロクワガタなど一部の種は第七節のみ扁平では無いなどの例外もある)。ラメラは節ごとに分離独立した可動形態であり球状にはならない

 第1節と第2節の関節が膝状に曲がる型の触角を持つ普遍的クワガタである場合は、第1節が非常に細長くなっているので、大抵は別科と区別に困らないと考えられ、腹節板の欠損や爪間板が見えない等の状態でもクワガタと同定する為に障壁は無いと考えられる。

 しかし一方で、第1節と第2節の関節が膝状に曲がらないストレート型の触角を持つマダラクワガタ、マグソクワガタなどの原始的グループである場合は、見かけ上5枚の腹節板と、爪間板が見えていなくては同定出来ない。※アカマダラセンチコガネ科などは、体型は異なるが爪間板が小さくて殆ど見えない事以外はよく似ていて厄介であり、腹節板形態や上唇節の有無で見分ける。

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 「腹節板5枚合わせた長さ:中胸腹板+後胸腹板の長さ1:1」の比率。マダラクワガタ系統の外形はコブスジコガネ科に似ている。コブスジコガネ科では小さくて殆ど見えない爪間板が、クワガタムシ科ならば比率的に大きいので見分けられる。

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 またクロツヤムシ科も近似しているが、そちらは爪間板が小さく、また触角の中間節外縁がやや肥大しラメラが内側にまわり込むような形態に曲がる事で判別され、大抵の種は上唇節が見られ、鞘翅肩部は撫型など体型が一律的であるので見分けやすい。(クロツヤムシ科に似ているクワガタはチビクワガタ属程度であり、チビクワガタ属は真性クワガタムシ亜科としての触角形態を獲得し不変的維持しているので判別は容易。幼虫形態は全く異なる)。

https://unsm-ento.unl.edu/Guide/Scarabaeoidea/Passalidae/Passalidae-Key/PassalidaeK.html

 そして、それらの外形的特徴に相関する交尾器形態があり、また幼虫形態を含めた其れら形態的特徴からクワガタムシ科をクワガタムシとして概念化たらしめていると言える。

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 クワガタムシ科は、現生種の外部形態の特徴、交尾器形態の特徴、また幼虫形態などから系統の独立性を担保され、甲虫類全体からの部分的な遺伝子解析からも其の特異性を支持されているようになっています。このような形態の参照により、現生種に似た古代クワガタムシ科甲虫群を、外部形態のみの特徴によって科同定が可能になっているという訳です。

【Reference】

Holloway, B. A., 2007. Lucanidae (lnsecta: Coleoptera). Fauna of New Zealand, 61, Manaaki Whenua Press, Lincoln, Canterbury, New Zealand, 254 pp.

Latreille, P.A. Histoire naturelle, générale et particuliere des crustacés et des insectes. Paris 10:1-445. (1804)

Tabana, M., Okuda, N., 1992. Notes on Nicagus japonicus Nagel. Gekkan-Mushi 256, 4-10.

【追記】

 しかし近年は、現生種の標本だと裏面が全て台紙になっているようなものが少なくありませんね。仮作製の標本なんですか?完成した標本みたいなツラして紹介している人が少なくありませんが。で、其の標本、いったい何に使うんですか?同定のためには観察不可欠な、腹節板や後胸腹板、前胸腹板、頭部腹面(下唇基板など)、顎裏、脚の裏形態等の色・点刻・体毛など形態が全く見えませんよソレ。ちなみに、腹面観察用標本と背面観察用標本を別々の個体で済まそうなんて方法は絶対に認められません。形態の相関を考える上で、変異誤認によるバイアス発生のリスクを避ける為に、同一個体内での考察を、別個体での考察と比較して初めて正常な観察比較になりますからね。条件は一揃いに合わせてなくては正常ではありません。腹面を別個体から参考にしたら変異の考察でデータのコンタミをさせているのと変わりありません。(私も稀に台紙で腹面が全て見えない標本を敬遠しつつも仕方なく入手する事がありますが、絶対に湯に入れて外し、標本を作り直しています)。背面だけだと情報量が少ないですし、それだけで済ますような大雑把な観察なら少々綺麗な画像で事足りますし、実物の必要性は客観的にあまり感じられません

 ちなみに私は「腹面や肩部などの生物種的特徴が現れやすい部位が見えない標本は未完成の標本」と考える他に、「完全な交尾器が見えない標本は未完成の標本」とも考えています。そりゃあそうでしょう。視覚的に種概念を確認する上で、重要な形態が隠れて見えない標本から、どうやって見えない部分の生物情報を知るんでしょうか。よく同定方法として代案される部分的な遺伝子観察なんかは、あくまで参考で大した情報にはなりません(観察方法によって結論が変わる現象を最大根拠にしてはなりませんし、遺伝子観察の方が非常に煩雑で時間がかかります)。自然界ではフェロモンで雌雄が集まるという説も曖昧で、人間が誤同定するように昆虫達も少なからず誤同定していますからね。「雑種崩壊」の説も曖昧で、戻し交配による「雑種強勢」で効果は打ち消されます。先ずは歴史的に汎用して観察されている部位を先ず観察出来なくてはなりません。外形的分類を挑戦的に行う人もいますが、それも過去の偉人先人達が大量のサンプルから導き出した答えを参考にされている事を前提としていますよね。騙されて外形分類を続けてしまってきた人達は、心機一転しましょう。偉そうに外形や遺伝子だけで分類をする人もいますが、そういう人達には「真面目に観て考えてからモノを言うように」としか言えません。

 ただまぁ、交尾器を出していない仮作製の標本も存在意義はありまして、交尾器を観察可能にされてある個体は「標本の損壊」を余儀なくされていますから、一方で仮作製の標本は「未損壊の個体から交尾器を出して観察」という一連の行程を踏めるように保存されている資料としての存在意義があります(絶滅していなければ再現性確認のために新資料を採集する事も可能ですね)。しかし、ならば仮作製は不要なのでは?という疑問もありますが、其れは標本の状態を良好に保ちやすいという意義があります(別に作らなくても保管が良ければ大丈夫ではあります)。

 しかし当ブログでの批評や歴史的知見などから色々考えると、仮作製の時点で完成に近いビジュアルの標本にする意味は全く理解できません。「シンプルなビジュアル系標本」を作ったならば思想性が無いですし、科学技術の未発展だった時代の真似をするならば新規性もありません。バイオミメティクスに利用する標本としても成形に拘る必要性はありません。成形の参考標本にするにしても未完成標本を大量生産する事は不要です。それに完成までの行程で一度は必ず型崩れします私なら二度手間にならないように心がけます。虫好きだとかなんとか言いながら、やってる事は外面に重点的、そんな彼らは何をやっている人達なんでしょうか。インテリア目的とか言っている人もいますが、そういう「独りよがりな感覚で虫の死体を飾る」という光景はサイレントマジョリティから客観的に如何なる様相だと思われるでしょう。自然を愛でるとか言いながら人為を優先した側面を混ぜるなんて「ダブルスタンダード」と言われませんか。そんなに杜撰な考えで此の時代に世に出てくるなんて、お金の為に虫をやっていて実はそんなに虫好きでは無いという事なんじゃないんですか?(過去デビューしたての昆虫ショップの人から「お金の為に虫業界に参入しました。特に虫好きとか興味があるのではありません。」とハッキリ聞きましたが、時間が経ってある程度知名度が付くとSNSで虫好きを公言していましたね。何を信用して良いのか不明ですが、殆どの人がそういうハリボテ虫屋なんではないですかね。)最初から用途明瞭な標本にしておけば良いものを、そうしないのは、そうしなくても良いとか「標本の完成」の概念を誤認させるよう促しているような、わざとらしい違和感すら残ります。そういう態度からは「台紙で片面全部見えなくしたから今更作り直すの躊躇わせるし、交尾器も出していないから誤同定の可能性が凄く高いけど、素人に売るだけなんだからコレで良いんだ」とでも言いたげな、非常に恣意的な印象が強くあります。悪い学者らは素人に誤認を促して自身らだけで研究を進めやすくなるので一石二鳥ですね。

 標本群から導き出される結論について、いわゆる「総合的判断をすべき」とは誰しも思うでしょう。しかし、そう言う人達は其の結論に至る為の行程を踏めているのでしょうか?"其れらの結論"に不足の多い、僅か部分的な観察だけで生物分類を断定的に行うなどという活動は、勝手な事を得意気に言うような表現をしているに近く、普通に自然や自然史への冒涜に他なりませんし、私にとっては他山の石にすらなりません。何事も百聞は一見にしかず、根拠の物証となり得る証拠を見なければ何も納得出来ません。

 ちなみに私は「バイアスを批判する特定個人が信用されやすくなるバイアス」にも懐疑的であるので、対抗策として匿名での論考公開に意義を見出しています。批判者だからといって盲信していては、いつまで経っても本質的評価を得られません。

 いやまぁ別に良いんですよ?誰が誤同定しても、誤認させるような宣伝をしても(倫理的には疑問ですが)。私はそういう事をしないよう気をつけていますが、他人の害悪行為なんて止めようがありませんからね。ただ、誤認を促すような表現は、応用性の狭く限られる認識だなぁという客観的事実を世に残すだけです