クワガタムシ科(Lucanidae)についての調査記録など

目的はverificationismに基づく原典検証・情報整理・批評説明。なお非営利・完全匿名を前提としています。

【俗談】虫等の「標本」を作るときに特徴的な部位を観えにくくするな。

 文献やSNSで上がってくるクワガタの標本など、「なんじゃこりゃ」と言いたくなるような姿勢で作られているのを散見する。交尾器や台紙で裏面が全て見えないのもそうなのだが、既知知見の判別で重要参考にされているのに隠れている部位があると考察が出来ない。代わりに大して観る気もしないような部位が白々しく見えている光景はなかなかに鬱憤が溜まる。

 無尽蔵な標本を見てきた私から正直且つ率直な個人的感想を言わせてもらうと、別にその姿勢が格好良いとは全く思えず、むしろ格好悪いとすら思うし、だからといって私自身の標本もそんなに格好良く出来ているとは思わない。私の場合は「比較参照する上で困らない事」を第一に考えて標本を成形しているため、姿勢の拘り方として無思考なルーティンワークにならないように気をつけている。格好良さの追求をするならば、私の場合だと、クワガタムシがaggressionの生態と武器形態を特化させた生物であるのだから生体時の威嚇シーンが最も好みである。

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(ドンミヤマクワガタ標本群。複雑な形態が目立ち、さながら"ヘラヅノオオミヤマクワガタ"とでも呼びたくなる。標本は細部のヴァリエーションが随所見られる事が想定され、なるべく特徴と変異の出やすい見間違いやすい部位の各所特徴が際立つようにしている。この画像では適当に並べているだけなので、顎内歯の一部が重なっていたりして見えにくいが、論文などに載せる場合には見えるようになっている。)

 だから特に私の考えを押し付けたいみたいな事も無いのだが、じゃあ観察者に対する配慮に欠いた姿勢の死骸を果たして「標本」と呼称しても良いのか、どの程度の参照価値が有るのかと言う議論になる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%99%E6%9C%AC

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(ゲアンミヤマクワガタの原名亜種:右標本群と、コンツム亜種:左標本群;スケールバー無し。同じ体格でも原名亜種の方が大顎の発達が良く、前脚ケイ節が著しく長い事が分かる。この差異は各標本の姿勢をなるべく自然に且つ各部位が背面に対して平行になるようにした事で、特に拘らずに撮影した一枚の写真に収められる。)

 「特徴が見えやすい姿勢」が唯一無二のフォーマルな標本の姿勢であるとは、ずっと昔から言われている事である(それ以外はスラングな姿勢である)。逆に言えば、それさえ守られていれば標本としての利用価値はある程度保たれる。

 まぁSNSに上げられているのはどうせ初心者アマチュアのやる事だし大した意義も説明されていないので、そんなに目くじらを立ててもしょうがないと言えばしょうがない。しかし「良い標本」にしたいと思っている人がミスリードされているのは如何ともし難い。目的が虚な姿勢を「標本」の型にはめようとしている人達には良心の呵責が無いのだろうか。めんどくさがりに配慮したいという事なのだろうか。また図鑑や論文にソレがある場合は参考にしたくても参考に出来ず見る度にどうしても頭に血が上って苛々してしまうので鬱憤を晴らすべく記述する。

 昔から図鑑や論文で、脚が縮んで背面図では正確な形態が分からなかったり、脚と突起などの特徴的な部位が重なっている画像が結構多い。おそらくSNSに上げている初心者は、可哀想かな其れを鵜呑みし真似したのだろう。学界論文ならば学界から相当不正な忖度(笑)されている著者の論文か、査読者が阿保でない限り絶対に突っ込まれてリジェクトされる案件である。

 特に肩部は、種や亜種を識別する際に見えていなくてはならない部位(代表的なのはメタリフェルホソアカクワガタ亜種間差異やギラファノコギリクワガタ亜種間差異、フタマタクワガタ種間差異等)なのだが、脚部腿節と重なって見えない場合は非常に苛々する。

 よく知らない初心者一般人に対し怒りを向けるほどではない。しかし其れで良いんだよみたいな態度で見て見ぬ振りをしてデカい顔をしている学者や不遜な態度の輩には腹が立つ。今の時代そんなに教育的配慮の無い図鑑を作るほど不便な時代ではない。そこが見えない文献なんて既知知見からして意味無いんだよなぁと、そう言いたくなる。

【References】

Okuda, N. 2009. A new species of the genus Lucanus Scopoli (Coleoptera, Lucanidae) from central Vietnam. Gekkan-Mushi (461): 50–52.

Okuda, N. 2012. Descriptions of the female of Lucanus ngheanus Okuda, 2009 and its new subspecies from Kon Tum Province, central Vietnam. Gekkan-Mushi (498): 20–22.

Maeda, T. 2009. “Three new species of the genera Lucanus, Rhaetulus and Dorcus
(Coleoptera, Lucanidae) from central Vietnam”
Gekkan-Mushi, No.457, pp.35-40

【追記】

 観察のやり方を間違えると簡単に明後日の方向に解釈が進む。

 例えば人では無い生物の「この生物は生存するために擬態しているのです」などのような擬人化的表現が多々見受けられるが、これは他人の思考を勝手に曲解して解釈する事と同方向の誤りである。何かに擬態している生物は、「生き残るために自然の見た目に溶け込む外見を手に入れた」というのでは無く、たまたま其の形態を獲得し、たまたま其の場所と其の時代で生存有利な形態だっただけである。鏡を見ても自身だと分からない人外の生物が、生物個体自身の意思で擬態形態を獲得したなんて訳が無いし、其れを示す物証が明らかに無い。

 そういう無理解を防ぐために色々な知見が残されているのだが、昨今の人達は観察で何を想像しているのだろうか。まぁ私は、一般人に対して地面の殆ど点か虫か見間違う蟻みたいな微小昆虫を正確に種同定しろなんてキチガイじみた事は言わないが。