クワガタムシ科(Lucanidae)についての調査記録など

目的はverificationismに基づく原典検証・情報整理・批評説明。なお非営利・完全匿名を前提としています。

【論考】呼称「"マイシカクワガタ"」に関するファクトチェック

 友人の標本商が困惑しているという事で話題になった問題より。「マイシカクワガタを何故か"メイシカクワガタ"と呼ぶ人がいるが意味が分からない」という話である。たまにマイシカをメイシカと呼ぶ人がいるにはいた。しかし私にもよく分からない話だったし、件の標本商氏からすればベトナム現地にてマイシカクワガタに献名されたマイ氏の名前を知り発音も何回も確認していたから頭の痛くなる話という事だった。※上記から解る通り和名"マイシカクワガタ"の「マイ」とは"my"の事では無い。

f:id:iVene:20220110233545j:image

(中部ベトナムに分布し、赤褐色〜オレンジ色のエリトラを呈するマイシカクワガタ:Rhaetulus maii Maeda, 2009. ※共著連名が多い為か"Rhaetulus maii Okuda, 2009"として紹介するネットページもあるが間違いである。艶は強過ぎず弱過ぎずで雅な佗寂を感じさせるクワガタムシ。最初に見つかった時は驚きが凄かった。マレー半島にいるディディエールシカクワガタと似た顎形態のシカクワがベトナムに居たなんて!と。ちなみに野生では稀に明色型が見つかっていたとの話。)

f:id:iVene:20220110231229j:image

マレー半島のディディエールシカクワガタ:Rhaetulus didieri de Lisle,1970.は、凄まじい鹿角形態の大顎とギラつく褐色模様で有名な大型クワガタ種であり、雌雄差や個体変異を考える上でも面白い種である。昔はマレー半島のみで特化したような形態という考え方をされる形態だったが、マイシカクワガタの発見で別解釈が生まれた。馴化による収斂なのか近縁種なのか予想が難しいが興味深い関係性である。)

 つまるところ和名や発音の問題で、国際動物命名規約第四版では決まっていないし、私は今後も相当に使用性の高いデータベースでも作られない限り上手く取り決められる話題でも無いと見通している。また大抵の人が既に理解している事だから、とりわけ私が問題視する必要もない事と考えていた。しかしまぁ、まとまっていた方が便利というのはある。

 虫の和名というと平安時代の呼び方が踏襲されている事を時折思い出す。例えばカミキリムシは平安中期の辞書『和名抄』には「齧髪虫」と呼ばれ、「髪切り虫」に落ち着いたと分かる。

https://gogen-yurai.jp/kamikirimushi/

 このように和名にも由来が有って、歴史の中で使われてきている。「カミキリムシ」の和名は歴史が長く最早変えようが無いほど日本社会に浸透しているから、いきなり会話中に「天牛」なんて呼ぶ人は日本ではそう見られない。しかし決まって間もない和名の虫は珍説がワラワラと出てきて面倒臭いのである。

 さて「マイシカ」の話に戻す。

 誰なのかは特定されていないが『ベトナム語の“mai”は現地では“メイ”と発音するので、実はメイシカと呼ぶのが正しい』と誤った蘊蓄を垂れる人物がいるらしいという事だった。普通の感覚ならば記載者本人が論文作成のために現地協力者に氏名のスペルと発音まで正確に確認している事は容易に想像できる。些細な嫉妬や無知による瑕疵なのかは知らないが、全く有力な根拠も無く思い込みだけによる的外れな主張をできる"創造力"と、其れを自己検証もせず鵜呑みにして精力的に拡散するフォロワー達の行動様態的生態は興味深い。

(マイシカは本種発見者の父に献名された名称で普通にマイと発音される。その他複数のmai表記のベトナム語に関しても発音としてはマイになる模様である)

https://vjjv.weblio.jp/content/mai

ベトナム語では"mài:研ぐ" や "mái:屋根"なども「マイ」と発音する)

https://vietnam.sketch-travel.com/dictionary/search.php?t=vn&s=Mai

(似たスペルのベトナム語は沢山ある)

https://m.youtube.com/watch?v=0em1_TJvubw

(発音についての動画)

 マイシカの記載は2009年で、中世ヨーロッパの産地スペル等に対して適当な気分の人が多かった時代とは違う。

 しかし深い理解も無く飛ばし気味にデマを言う人も多い世の中なので、根拠が明確化されていないと第三者からすればどちらが真実か分からず混乱する。しかも巧妙なデマで飯を食っている人達からすれば真実で飯を食っている人達が敵である。半匿名性SNSでは真実に反発する事:即ち嘘をばら撒く事への「正当性」を掲げる人が多くいるから、わざわざ発信せずに見るだけの人々の中には既に「自信満々に立場晒して間違った事ばっかり言うなんてアホやなぁ」と看破している人達も多い。まぁ反科学を貫く人達も反面教師の好例にはなるから己が神に逆らいたいなら其のままでいてもらって結構(表現の自由)なのだが、私はそういうのに与するような事はしたくないという前提思考がある。自戒の足りない人達は雰囲気に流されて恥を晒し続ける。

 生物種学名については、学名となった後の綴りはラテン語と認められるからローマ字読みが一般的であると云われている。また人名については人名としての発音にすべきという意見もある。しかし人名の発音というのはなかなか難しく、国や地方で呼ばれ方が異なる事もある。また例えば、故・永井信二氏によれば「フランス語のHは"サイレント"という発音しない決まりがあるから、フランス人は学名を読むときも"はひふへほ"の音を発音しない人が多かった」という事で、例えば"フォルスター"も"オルスター"と呼ばれる事があるらしかったから発音の問題は統一しづらいという事もある。つまりローマ字読みが主流で無難ともなりうる訳だ。

 とはいえ「マイ」は学名綴りを見ても「マイ」の発音である。英語読みならば"メイ"と言う綴りだが前述の通り生物種学名を英語読みするのは一般的では無い。そこで出てきたのが「現地で"メイ"読みする問題」だった訳だが、やはり根拠が希薄過ぎる。少なくとも綴りは"maii"で、しかも現地で献名されたマイ氏の氏名発音が"マイ"なのをわざわざ変える意味は全く考えられない。間違った理由付けは、あたかも最もらしい詭弁であり、流される人もいそうであるからファクトチェックに意味が出てくる。

 こういう問題では特に思慮の無い輩が大した事も考えず「俺がルール」を押し通してくる事が多々あるから慣れていないと頭が痛くなる(論文でもSNSでも条件は同じ)。例えば科学的に倫理的に追究されたような話であればルール的にもむしろ利益がある可能性があるが個人的思想がルールになれば独裁主義的過ぎて弊害の問題が顕出するという訳である。

【References】

T.Maeda. 2009. “Three new species of the genera Lucanus, Rhaetulus and Dorcus
(Coleoptera, Lucanidae) from central Vietnam”
Grkkan-Mushi, No.457, pp.35-40

M. O. de Lisle. 1970. “Deuxieme note sur quelques Coleoptera Lucanidae nouveaux ou peu connus”. Revue suisse de zoologie. Tome 77, fasc. 1, n° 6: 91-117.

【追記】

 社会通念や科学知識と個人思想が乖離しているという現象は社会において無限に見つかる。人同士のコミュニケーション上ではどうしても感情が混じり変な方向へ議論が進みやすい。社会通念に従いながら生きているのに個人思想では真っ向から反していたら普段から生きる事が辛そうだからあまりお勧めはしないが、社会の雰囲気に誤った個人思想を植え付けるような問題があったとしたら、其の思想を鵜呑みして人生を壊してしまった人は犠牲者であると言える。

 私自身も昔は「誰か知っている人」に色々言われる事というのにいつも引っかかりが有った。随分な昔話、私が通っていた学校の教壇で教師が色々言う事にもブラック企業の上司が言う事にも論理性が無く苛々したが、押し通すように語気を強くして喋られる、そもそもの立場的な強弱差が災いして、なかなか意見しづらかった。だが運良く件の時代には「2ch」という匿名巨大掲示板があり、殆ど完全匿名の状態で議論が出来るようになっていた訳である。全くの匿名で文字だけだから誰かがイデオロギーを前提として書き込みをすると一瞬で看破される。柔らかい思考で語気に気圧されない本音VS嘘の論戦が見られるのはなかなかの思考訓練になったし論争で社会通念を知る事も多々あった。それに比べて実名で顔を晒している人や半匿名でも其れが詐欺師チックな会話をする人ならば、やはり地に足の付いた情報交換になりにくいケースが多いし其れから出る問題が解消されにくくなる。

 実名で何か言っている人の話は、それが真実や事実に即した事である場合には価値はあるが、論理の部分には実名性が不要である。誰かが実名で言っているからと言って価値があるとは殆ど限らない。論理性に対して必要以上に実名的価値を付与するのは非科学的である。

 私がいつの間にか他人の言う事を鵜呑みにしない思考法を獲得していたのは、そういう比較が出来たからであろうと考えられもする。しかし、やはり当り障り無い論調の解説や説明は私の頭に殆ど入らなくなった(馬耳東風みたいに)から、私のブログ記事では一部過激且つ分かりやすい論調にして「考える事」に意識して読ませるようにしてある。考える事を増やせば増やすほど覚えられる事も増えるし工夫も生まれる。

 一般的には教えられる事も少ないが、研究者の卵は「論文を読むときは嘘と考えて読め」というメソッドを教えられる。其れを臍曲がりに受け取り非科学的に使うか、真摯に向き合って科学的に考えるかで、其の人の科学的センスや性格が問われる事も多い。

http://scienceandtechnology.jp/archives/3990

f:id:iVene:20220110234134j:image