クワガタムシ科(Lucanidae)についての調査記録など

目的はverificationismに基づく原典検証・情報整理・批評説明。なお非営利・完全匿名を前提としています。

【論考】パラタイプ標本は多い方が科学的には良い

 単純な話、パラタイプはホロタイプの原著論文内で「生物種的特徴の再現性」と「他の普遍的標本との識別」を示される為にある。簡単に説明すると、沢山あれば論文内で生物種としての形態的特徴の再現性・安定性を、著者が確認した事をアピール出来る。それだけのメリットだが、沢山あって損は無いというお話。

パラタイプ. paratype; タイプシリーズを構成する標本のうち,ホロタイプ以外の各々[勧告 73D] .

勧告 73D. パラタイプのラベルづけ.ホロタイプにラベルづけした後, タイプシリーズの残りすべての標本 [条72.4.5] に, 設立時のタイプシリーズの構成要素であることを示すために, “パラタイプ”というラベルをつけるべきである.

(国際動物命名規約第四版より抜粋)

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(2003年に複数の新種記載が為されたアフリカの美しいスワンジノコギリクワガタグループの数種パラタイプ標本群。沢山の標本にパラタイプ指定が為され、市場では贋作パラタイプラベル標本も出回った。※だが記載文の判別方法では1種につき1個体分程度の交尾器の鞭部スケッチしか示されておらず、また変異誤認で記載されている事によりシノニムになりそうな学名もある。たしかに再現性のある形態を持つ分類群もあったが、こういう例もあるから記載文に完全性を求めるのは難しいとも言え、実物標本群の網羅的・多数資料による定量的な比較観察に本質的な意義が生じる。)

 パラタイプについては、博物館所蔵にすべきという主張と、個人所蔵を認めるべきという主張がある。私はどちらの主張にも正義はあると考えるが、巷での議論を側から見ていると誰しも想像力の欠如をしていると感じ取れもする。SNS界で学閥勢力がアマチュア並みか其れ以下のポジショントークを発信するのは何故なのか。友人の仮説によれば「手元に必要なコレクションが無いから駄々っ子をしているのかも」という話がある。たしかにオンライン上で日本の諸博物館の公開しているコレクションを見ると主観的ではあるが「ん?思っていたよりしょぼいな」という、まぁ5〜10年もあれば、また資金を潤沢に持つ人ならば数年以内には集め終わるようなボリューム(一番速い方法は大コレクターから数千万円で買い取る事)であったので、凄く心当たりがある。

 それはさておき、博物館が所蔵すべきという意見は、たしかにホロタイプだけだと架空の資料で書かれたか否かという検証しか第三の参照者には分からないため、パラタイプが博物館に無いと記載文に書き漏らされた特徴や変異などを観るメリットを達成しにくくなるし、あってはならないが仮にホロタイプが逸失された場合に迅速なネオタイプ指定が困難になるデメリットがある。だが、パラタイプを「全て」博物館に入れなくてはならないという考え方は命名規約でも示されておらず誤りと考えられる。「タイプ標本を全く研究機関に入れない事」が忌避されるべきという理解が正しく、正しい理解以外の流布はミスリーディングになりかねないので改められたい。

72.10. 担名タイプの価値. ホロタイプ, シンタイプ, レクトタイプ, およびネオタイプは、あらゆる名義種階級群タクソン(さらに,間接的にあらゆる 動物タクソン) の学名の担い手である. それらは, 動物命名法に客観性をもたらす世界共通の参照基準であり,そのように処遇されねばならない (勧告72D~ 72F を見よ). それらは, 科学のために, それらの安全保管に責任ある人物に委託されるものとする.

勧告 16C. タイプ標本の保存と供託. 著者は、担名タイプが世界共通の参照基準であることを認識したうえで (条72.10を見よ), 学術標本コレクションを維持管理し, それらを保管しかつそれらを研究用に利用可能にする設備を有する研究機関 (すなわち, 勧告72F の要件を満たしているところ)にタイプ標本を供託するべきである.

(国際動物命名規約第四版より抜粋)

 個人所蔵を認めるべきという意見も、博物館などの公的機関が重要な研究資料を独占していない分類群であるという事を示す、つまり再現性の高さ・資料の信頼性の高さを示せるメリットがある。勿論だが、博物館にホロタイプすら入れず個人がタイプ標本を独占する等は不信を得やすい。単純な話「独占」による偏りに科学的なデメリットが出やすいという事なのだ。そのためパラタイプ個人所蔵は、上記のような博物館のメリットを奪うというデメリットがあり、取り合いの様相で非常に難しい問題のようである。

 だからやっぱり、其々で部分的に所蔵可能なようにパラタイプは沢山あった方が良いと、私は折衷案を考える。タイプ標本が多くて損をする事は先ず無い。たまに誤同定が混じる事もあろうが、ホロタイプほか複数のパラタイプがあれば後にでも気付きやすい。困るのは希少性をでっち上げたい悪徳商売人くらいである。

 しかし、こと超希少種については、この問題をクリア出来ない例が多くある。クワガタムシ科で希少な資料を用いた新種記載がされる際、少なくない例でパラタイプとなる個体が複数人の所蔵標本からの借り物である場合がある。ここで、パラタイプとなる標本が借り物オンリーだった場合には博物館に入れられないし、苦心して採集などで入手したろう貴重な標本でも博物館に入れるべきなんて他所様のコレクションに口出しして言えば先ず絶対的に貸し借りの話は立ち消え新種記載は出来なくなる。ホロタイプを博物館に入れるという事すら、希少種に巡り会えたという折角の幸運を手放さなくてはならなくなった所有者は身を切るが如く辛く悔しい気分を「建前」で隠している事が少なからずある。私はそういう人の気持ちを汲んできたから分かる。ちなみに私も自身のところに一応の意味でパラタイプを置いておきたい。複数標本があれば交換には応じられるかもしれないが、タダでくれてやる義理は希薄である。交渉と相互合意は大切である。

 しかしまぁ博物館にはホロタイプだけを入れておいて、大変だがパラタイプではない新しい信頼性のある標本を追加しても良いという解決策もある(コンタミ可能性系統の飼育品ばかり出回る市場からの追加なんていうのは論外)。パラタイプについては、種記載論文で図示や定義(常識的)されていて、論文上での再現性を示す資料を使用する上で「今後ほかの標本群とコンタミしないよう対策をしました」という説明を示されている程度の役割理解で良いからである(古い記載だと記述が無い場合があり、記載文に無いパラタイプラベルに突如出会したりして状況判断が求められる場合もある)。

 ABS問題への対策として原産地の博物館に入れろという人もいるが、そんなのは分類学に協力姿勢の我々一般人に負担をかけず、ホロタイプを所蔵しているなりする博物館等公共機関がタイプ標本以外での解決が出来るよう提案してあげてよと言いたい。大体、各分類群の殆どのタイプ標本は大航海時代植民地にされた世界中の各地域から奪ってきたヨーロッパにあるのだから、其れを無視しない標本参照システム構築など解決策は簡単に提示出来ると考えられる。

【Reference】

Desfontaine M. & Moretto P. 2003. Revision des Prosopocoilus Africains du groupe swanzianus. Descriptions de nouveaux taxons , Animma.x Supplement 1:1-43

【追記】

 だが大体の場合はパラタイプを持つ意味も大して理解していないのにも関わらずパラタイプラベルにプレミア価値を求める人達が感情論を言うので、博物館所蔵すべき論も個人所蔵すべき論も大体は独り善がりなポジショントークなんだろうなという印象が深い。

 パラタイプについては売買される事が少なからずある。また寄贈により寄贈者の氏名が博物館の記録として歴史に残される事もある。その際は標本の来歴に「個人的利益を優先とした目的の為に、科学資料としての価値搾取をされている」という学術価値の損傷を踏まえられていなくてはならない(似た標本ならば姿勢を模倣されて偽のパラタイプ標本が作られ、後にコンタミしかねない)。だからタイプシリーズはなるべく全て原著論文で図示されていた方が無難であるし、タイプラベルは模造されにくいデザインに拘る。また「ホロタイプの売買」などはコンタミ懸念により不安視が最たるものだから言語道断な訳でもある。

 とはいえ、なぜパラタイプを個人所蔵しちゃいけないという人がいるのか。とりあえず私を納得させるような妥当性のある理由は無さそうだ。

 ちなみに稀な事だがパラタイプの個体一つに対して''Paratypes"というラベルが付いてある場合は「同''Paratypes"ラベルに表記される学名に対したパラタイプ"など"」という意味を内包してしまい、"種同定が不確かなのにタイプシリーズに指定された個体"というラベルになるから科学的によろしくないという話がある。

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 1個体に対して複数形の表記が為されている場合は此のように"曖昧な予断が為された"と読解される。

http://ant.miyakyo-u.ac.jp/J/P/PCD0419/52.html

 論文上で"Paratypes"の表記が使用されるのは決まってパラタイプに指定された検体個体群に対する総称的な表現で「複数形」の扱いだから許される。

あるものの幸福は、他のものの不幸を踏み台にしている。
(ジャン・アンリ・ファーブル)