クワガタムシ科(Lucanidae)についての調査記録など

目的はverificationismに基づく原典検証・情報整理・批評説明。なお非営利・完全匿名を前提としています。

【第貳欠片】約1億年前・後期白亜紀セノマニアン前期のクワガタムシ科入りBurmese amberについて

 以下は私が懊悩煩悶を経て入手に成功した2つ目のクワガタムシ科入り琥珀右触角の腹面・背面画像(全身は現状秘密)。※琥珀の真偽判定は、簡単に可能な方法(食塩水テスト、UVテストなど)では確認済。また記事にした動機・目的は前回と同様である。

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f:id:iVene:20220114084937j:image(ニセルリクワガタ属に似て細長く平べったい体長5mm程度のクワガタムシ、胴体部位は樹脂の脱水収縮で平たく潰れている。触角はヒビ割れが多いが生物的形態の節の境目は識別出来るから10節構成と判断可能である。型としては1点モノで、他に見た事の無い外形のクワガタムシ

 産地はミャンマー・カチン州タナイ。なお琥珀のクワガタは絶滅既知種との種内雌雄差か種内個体差か別種かの関係性判断は不可能である。ただし現生種とはいずれとも異なる。

 非常に特異的な外形で最初はクワガタムシ科には見えなかった。だが細長く平たい形態で、この触角形態や脚部形態、また爪間板など他の細部形態の総合判断からしクワガタムシ科としか考えられなかった。 

 大顎は短く状態としては閉じていたが片方のみ先端が尖っている形態が見える。各形態から現在のアメリカ合衆国カリフォルニア州オレゴン州に産するニセルリクワガタ属に似ている。前胸の特異的形態を鑑みるとキンイロクワガタ的な雰囲気も感じられる。ルリクワガタのグループとキンイロクワガタ亜科のグループは系統関係上では近縁とされる。キンイロクワガタ亜科は南半球にしかおらず、ルリクワガタは北半球にしかいないという状況をインド亜大陸の独立時に形成されたと考えると、もしかすると琥珀のクワガタは分岐以前の系統の個体だったかもしれない。

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(似た雰囲気のインフェルヌスニセルリクワガタ:Platyceroides (Platyceroides) infernus Paulsen, 2017〈?〉※Paulsen氏の記載文はよく観察されて書いてあるようだがスケールバー無いとか交尾器は殆ど見切れ画像とか図示が小さ過ぎるとか標本の姿勢が見づらいとか変異検証の結果が分かりにくい等の図示不足で参考にしづらいので追補報告を期待したい。ちなみに10.2mm。ニセルリクワガタ属はルリクワガタの仲間でも原始的なグループと考えられている。当記事の琥珀個体の触角は構造が異なりマグソクワガタらしいが脚部や体型など似る。そもそもマグソクワガタ属とニセルリクワガタ属の関係性には各形態の相関から近縁性があるとも考えられる)

 また同琥珀内には、2mm足らずのクモガタ綱(Arachnida)カニムシ目(Pseudoscorpiones)や、内顎綱(Entognatha)トビムシ目(Collembola)?など様々な生物遺骸が入る。

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【References】

Tabana, M., Okuda, N., 1992. Notes on Nicagus japonicus Nagel. Gekkan-Mushi 256, 4-10.

Benesh, B. 1946. A systematic revision of the Holarctic genus Platycerus Geoffroy. Transactions of the American Entomological Society 72(3):139-202.

Paulsen, M.J. 2014. A new species of stag beetle (Coleoptera: Lucanidae) from California. Insecta Mundi 0358: 1-3.

Paulsen, M.J. 2015. A new species of Platyceroides (Coleoptera: Lucanidae) from Oregon. Insecta Mundi 0430: 1-5.

Paulsen, MJ. 2017. Correction of existing generic and species concepts in Platyceroidini (Coleoptera: Lucanidae: Lucaninae) and the description of four new species of Platyceroides Benesh. 4269 (3): 346-378.

【追記】

 推定約1億年前・白亜紀セノマニアンのクワガタムシ。其の時代は例えば映画「ジュラシックパーク3」でも一躍有名になった大型肉食恐竜のスピノサウルスが地球上のアフリカ・モロッコや何処かで歩いていた時代に近しい。このようにミャンマー琥珀には白亜紀だった瞬の間の極小宇宙が閉じ込められている。

 虫は小さくとても変わったクワガタムシ。初めて見た時は前胸背形態が現生種には無い形態からクワガタムシ科甲虫ではない可能性をかなり悩んだ。マグソクワガタ的特徴もあったがシデムシ科やアツバコガネ科だったら私には用が無い。しかし本当にクワガタだったら?とも思えたからまた博打だった訳である。マグソクワガタ系らしき虫の場合に見えなければクワガタムシ科か否か判然としない「触角の節数」や「腹節板など腹面の状態」「爪間板」が出品時画像では見辛かったが、大まかな脚部形態からシデムシ科の可能性は排除可能で一応クワガタ的であったから手元に届けば確実な事が分かる(出品時画像だけなら凄く変わったセンチコガネ説もあった)。また出品者は限界まで鮮明に写したつもりだったらしいので再撮影を頼む意味が無い。悩み悩んで「まぁもし間違いで別科甲虫でも白亜紀特有の型なら面白いし良いか」と考えて落札したのだった。

 虫自体は実際に私の見た事も無い形態だったから、よくある現生種や合体標本や加工標本が入った模造品とは異なると鮮明に分かった。しかし生物分類的同定は絶滅種の場合困難を極める。だから事前の予習で世界中のあらゆる近似別科の姿見を頭に叩き込まなければならない。様々なページを参照してああだこうだ度々説明が異なる解釈を絞る作業は大変だった。原始的なクワガタほど紛らわしいものだから難易度が高くて参考になる文献やネット上の情報が全然足らず物凄く苛々する。肩書きや社名のブランドで内容の軽薄さが煙に巻かれただけの使用性が低い或いは無い文献などは参考にならず見ていて悲しくなる("落ち葉拾い"しただけみたいな解説は不要である)。

 この琥珀については入手後にも調べに調べ消去法でクワガタムシ科以外の何者でも無いという結論に至ったが、それに至るまでに件のクワガタ分類屋の友人にも色々助けて頂いた。現状では"文献上の一般論"と"巷の一般知識"には大きな乖離がある場合も多いから正確な判断を自身が出来ているか否か知る為にも専門の分類家の2ndや3rdの意見が欲しくなる。「原始的だがとても変わったクワガタムシ」というコメントも付いた。

 こういう琥珀資料はクローズドな場でのオファーやオーダーでの取引でも殆どリスクがある。というのも前回記事にも似た事を書いたがやっぱりクワガタじゃないか分からないのに"クワガタ"だと言って売り込んでくる事が殆どだからである。他にも私に「クワガタだろう」と堂々自慢してきたコレクターの琥珀も、クワガタじゃないかな?と同定依頼してきた人達の琥珀も、いずれもクワガタムシ科では無いかクワガタムシ科であると断定不可能な虫入り琥珀ばかりだった。割と優秀な現地業者もいたが分類はアマチュアだから誤同定も割合沢山していた。観察眼に自信を付けるまで集める事が出来ないジャンルと言える。これまでにおいて"私の所有個体群以外の琥珀群"から知る限り「間違いなく白亜紀にいたクワガタムシ科甲虫入り琥珀だ」と私の目からしても同定出来た個体はたったの5個体だった。

 しかし、やはり白亜紀のクワガタというのは"異世界のクワガタ"じみていると喩えたくなる。こういう自然史の奥深さを考えさせられる物を見るたびに思うのだが、人間長く生きていても見ていない事知らない事考えもしていなかった事がとてつもなく多い。