クワガタムシ科(Lucanidae)についての調査記録など

目的はverificationismに基づく原典検証・情報整理・批評説明。なお非営利・完全匿名を前提としています。

【第拾貳欠片】約1億年前・後期白亜紀セノマニアン前期のクワガタムシ科入りBurmese amberについて

 以下は私が堅忍不抜の意気込みで入手した12個体目のクワガタムシ科入り琥珀触角(全身は現状秘密)。※琥珀の真偽判定は、簡単に可能な方法(食塩水テスト、UVテストなど)では確認済。

f:id:iVene:20211031144549j:image(マグソクワガタ属に似た体長3.5mm程度のクワガタムシ。本体は少し異物が付着している。左側触角が明瞭に露出していて観察しやすい)

f:id:iVene:20220407090930j:image

(右触角は収納されている様子が腹面から僅かに見えるが"全然に明瞭ではない事"が分かる。こちら側の触覚はどう頑張っても節々がボヤけて同定に使えない。私はこういう様態に対して"見えない"*"見づらい"と文句を付ける。本来ならば見せる意味の無い画像だが、知見として示された事もあまり無さそうだから図示する。見やすい光景と見づらい光景の差が分かると考える)

f:id:iVene:20220407091758j:image

 産地はミャンマー・カチン州タナイ。クワガタは、†Protonicagus tani Cai, Yin, Liu et Huang, 2017に酷似しているが前胸側縁では其れほどギザギザにならない。なお雌雄差なのか種内個体差なのか判別が不可能である。ただし現生種とはいずれとも異なる。

f:id:iVene:20220407091839j:image

(肩部は現生のマグソクワガタ属ほど突出せずにまるみを帯びる)

 同琥珀内には1.5mm程度のキノコバエ(Sciaridae)?が同封される。

 クワガタムシ科でも最も原始的と考えられるマグソクワガタやマダラクワガタの種群を見るに近縁別科との分岐がどうだったのか色々考えさせられる。

 日本のマグソクワガタは文献にはあまり記述されない面白い生態がある。ある地域ではオスばかり観察されメスが見つかりにくいが、別のある地域ではそんなに雌雄の個体観察数に偏りは無い。特に別種や別亜種という差異も無い。これがどういう事なのかは未解明だが、環境因子と遺伝子的要因の関わりによりメスの産出量が少ないのか、はたまた環境によりメスの活動エリアとオスの活動エリアに共通する部位としない部位があるのかなど、色々な仮説を考えられる。自然界から分かる事は様々あるが混沌とした中から分かる真だから、そう簡単には理解させてくれない。

 過去に絶滅した多くの古生物種は大量絶滅の期に大規模な環境改変が原因となり其の前後で生態系の変化が各々の種群に生存を許すか否かを決したと考えられる。例として白亜紀に恐竜を絶滅させた隕石の衝突後は蝶類が爆発的に種分化と進化を行ったが其れ以前は代置的に別科のカゲロウ類昆虫が繁栄している。

 現時点では詳しい事は不明だが同じような事が三畳紀からジュラ紀に変わる節、ジュラ紀から白亜紀に変わる節等にもクワガタでも起こったと考える。温度変化などは遺伝子改変に覿面の効果がある。環境が著しく変換して生物大量絶滅が起こる度に、別属、別種、種内変異レベルでしか違わなかった各系統が突然踵を返したように特定の系統のみで特定の方向に向かって形態進化を始めていたと考えると、クワガタムシが科として系統化した事も納得がいきやすくなる。実際どうだったのか未だ分からないが、少なくともミャンマー琥珀からは既に殆ど全亜科の形態がクワガタムシで見られている。

f:id:iVene:20211105092914j:image

【References】

Cai, Chenyang, Zi-Wei Yin, Ye Liu & Di-Ying Huang. 2017. Protonicagus tani gen. et sp. nov., the first stag beetles from Upper Cretaceous Burmese amber (Coleoptera: Lucanidae: Aesalinae: Nicagini). Cretaceous Research. 78. 109-112.

Tabana, M., Okuda, N., 1992. Notes on Nicagus japonicus Nagel. Gekkan-Mushi 256, 4-10.

【追記】

 推定約1億年前の白亜紀セノマニアンのクワガタムシ此の琥珀は私にとって"確実に白亜紀クワガタムシ科が入る琥珀"と言える標本の収集として最後に入手した個体である。左触角が外側に出ていて観察しやすいという意味でも質の良い標本。

 琥珀商から送られる琥珀が手元に届くと先ず琥珀を取り出し顕微鏡で真偽判定と同定の過程を行う。大抵は粗キズがあるので再研磨して透明度を上げて中身の観察をよりしやすくする。とはいえ虫の周りに異物が付いていて見えない部位がある事も多々ある。

 大抵の場合に出品時画像では爪間板などの細部が見えない。出品者に撮影をやり直してもらってもやはり見えない。彼らは爪間板を見ようとしない程度に観察に対する意識が低いし、彼らの使っている顕微鏡やカメラのスペックが其処まで高くないからどうしようも無い。

 "見えるor見えない問題"は言わば"結果こそ全て"の科学的評価に直結する。"同定が出来なくても面白い"という視点もあるが、見たい部分が見えていた方が其れは良い。様々な背景を知る目的にしても我々人間は"視覚的認知"を最も活用するからである。科学というのはノンフィクションSFドラマの集合体でもあるから科学好きにとっては拘らない理由が無い。

 私自身、琥珀の実物を顕微鏡で覗きながら「これ以上見えないのか」と悶絶する事もある。触角の節々や爪間板はライティングを工夫しつつ観察するが、ある1点方向の角度でしか見えない事が多いから苦労する。「視える」「見える」「観える」は全て重要である。

 同定や真偽判定を追究する理由は「標本が自身だけでなく他の人達に対しても、どれくらい役立ち得るか否かを見定める為」でもある。つまり再現性の確認。曲がりなりにも論文上で予断は許されない。少し其れらしい事を書くとしても"仮説の段階"と注記が要される。実態検証が無いと議論にならない。

https://twitter.com/yukin_done/status/1513667256466948096?s=21&t=Y2NlnKxh1BCL2d36tZL5hA

 "人間の行い"が自然界の物理法則より偉くなる事は無い。人間は相対的にどうしても不器用だからである。「自然界より人間の方が偉い」という考え方をする人達は誤った考え方をしている。"優生思想"というのは知的生物の本能的行動に通ずるものであるからありとあらゆる場で見られる。

https://news.yahoo.co.jp/articles/4645bbf6a7850ea36ade5160978c6f46dbab1703

https://dot.asahi.com/sports/sp/2013021900012.html

http://www.y-history.net/appendix/wh0203-128.html

 私も言葉や文章だけで読者を納得させられるとは思わない。そのため必要な作業について様々な説明をする。再現性を保証する道筋とは何なのか賢い読者ならば容易に理解していると察する。観察不足での考察が単なる思い込みに過ぎず無意味になりやすいというのは私自身が嫌というほど体験してきている。

http://fanblogs.jp/rekishiii/archive/2/0

https://s.japanese.joins.com/JArticle/248700?sectcode=400&servcode=400

 こういう自戒の倫理観は古くからやっている人々の間では常識的だったが、近視眼的に金銭的な要素を重要視している人達は知らない人が多そうである。

f:id:iVene:20220116220641j:image(確実な天然琥珀という資料として念のため別途入手しておいた†Haidomyrmex属のジゴクアリ入りミャンマー琥珀。ジゴクアリ類は形態的に特化した頭部をしていて白亜紀に絶滅したとされる。カナダのカンパニアンや、フランスのセノマニアンの地層からも見つかっている事から古いグループと考えられる。天然琥珀で研磨切削以外の人為加工が間違いなく無い標本が必要だったから中身がそんなに見えていない安物で済ませたが顕微鏡下でも観察しづらい個体だった。やはり見やすい標本の方が良い)

 しかしとはいえなんとやらで白亜紀や始新世のクワガタが体毛や小突起列、体表の篆刻、また爪間板まで鮮明に見えた時の感動は言葉では言い表せない。保存状態に感動する。

 細部形態を撮影するために虫がハッキリ見えるほど琥珀の透明度が高いと嬉しいものの逆に撮影に苦労するとなかなかしんどい。しかしながら色々な工夫を考えてライティングなどを様々試すと見方によって琥珀内の虫は色んな表情を魅せる事が分かる。現生種の標本観察のような勝手には行かないが、虫入り琥珀の観察という感覚が全く新鮮で浪漫駆け巡る。まるで海底湖底に沈んだ船や文明の跡を見た時のような光景である。

【References 2】

Barden, P.; Grimaldi, D. 2012. "Rediscovery of the bizarre Cretaceous ant Haidomyrmex Dlussky (Hymenoptera: Formicidae), with two new species". American Museum Novitates. 3755 (3755): 1–16.

Dlussky, G. M. 1996. "Ants (Hymenoptera: Formicidae) from Burmese amber". Paleontological Journal. 30 (4): 449–454.

【雑記・前件否定*後件肯定*選言肯定の誤謬】

 記事を色々書いてきたが現在は記事投稿の間隔を空け数も減らした為か、やはり日毎のアクセス数は減少傾向にある(記事数を減らした割に読まれる回数は増えている)。しかし実際問題で反響の感じからして比較的厳しい論調にした記事群の方が明らかにアクセス数が多いという結果があり其れは私も予期していなかった。そんなところで今回は頻繁に見られる誤謬の話題。

 論理の正否を制定しているのは現象の実態である。証言単体では実態を保証しない。人間は文章を使うことに比較的卓越した生き物だが、生物の行動をわざわざ文章で正当化する事自体が既に選言肯定と言えてしまう。現実的な解答をすれば我々人類が地球上に存在しているのは"偶然"以外の何物でもない。我々は生存本能に生かされてはいるが論理的に生存したいならば生存する為の考え方を固めておかなくては意味が無い。

選言肯定(せんげんこうてい、英: Affirming a disjunct)

この誤謬は、論理和の一方が真であるとき両方が真である可能性もあるのに、もう一方が偽であると結論付けることから生じる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%B8%E8%A8%80%E8%82%AF%E5%AE%9A

 私が世界のあらゆる場所で採集する人達に投資するのは"クワガタムシ科甲虫の存在性を知りたい為"というのもあるが、他にやっている人が少ないからというのもある。密度が高いとトラブルも増えるし規制もされやすくなる。難しい活動は少数精鋭くらいで一番やりやすい。

f:id:iVene:20220514202044j:image

(「Mizunuma, T. 2000. Stag Beetles II, Lucanidae. Endless Collection Series, volume 5, Tokyo, 101 pp.」より引用抜粋。22年も前の図鑑にここまで鋭い記述があるのは脱帽だが"分類学"を理解している人だったから言えるという事である。当時は変異と特徴を考察するなどは当然の世の中で、怪しげな標本もそんなに無かったから今代に問題にされているような事には言及が無い。出版物の上では"最後の筆"にも実際成っていて重みのある記述である)

 標本商をやっている私の友人は未開拓エリアの調査を勢力的に行っていて支持を集めているが、別の業者らによるルート乗っ取りや妨害を受け追い回されて新地に繰り出していたという事情もある。ルート乗っ取りが違法という訳ではないが初期投資を全くせずに出来上がったルートを奪うだけという所業はビジネス倫理からすると非道というもの。しかしこの業界では頻繁に起こりうる。

https://www.jiji.com/amp/article?k=2021070900612&g=int

http://mylife.2chblog.jp/archives/44002421.html

 私の知る限り筋を通さずに商売をしている業者は沢山あったがSNSでは正義面しているから滑稽という観点もある。科学的論証は法廷の場ですら最も尊重されるうえ簡単にやれる事も多いのだが彼らにはされない事の方が多い。

(↓※閲覧注意)

https://twitter.com/terimakasih0001/status/1444244060407926789?s=21&t=s-ipWA4Ns5Ebc-NBfx4gdg

 "一般的に未知とされる事"が少なからずあるのは調べていれば自ずと知れてくる。しかし"科学的に調べる"という行動が無くては未知がある事すら全く知る事も無い。科学的知見のパズルのピースを埋める作業の難易度が高いというのは普遍的事実である。イメージしにくい読者がいれば当記事などの断片的図示がどういう図示であるか批判的に考えてみればなんとなく分かるかもしれない(当ブログでは個人的資料について全て意図的にinformalな図示をしている)。

 僅かな知見での誤った結論は前件否定の過程を踏みやすいから生じやすい。だから網羅的縦横無尽に調べて考えて出した結論とは往々にして異なる。自然界で有り得ない事を有り得るかのように言っている人達は"知ったかぶりが激しい"という事である。

前件否定(ぜんけんひてい、英: Denying the antecedent)

この形式の論証はたとえ前提が真であっても、結論を導く推論過程に瑕疵がある。「前件否定」という名称は、「前件」すなわち論証の前提部分(もし - ならば)を否定する形式であることに由来している。 「逆もまた真なり」という真理を建前にして逆と裏を意図的に混用することで相手の誤認を誘い、本来は偽である命題を真なるものと強引に主張する手法としてしばしば見受けられる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E4%BB%B6%E5%90%A6%E5%AE%9A

 おそらく"入手した個体資料群の全てから交尾器を取り出して(失われていれば其の事をラベルに書く)参照性のある標本にする作業を継続している人間"は世界で私だけだが、作業を始めたのは確か2002〜2003年で、かなり時間がかかっている。観察不足や考察不足があっては自然現象を理解出来ない。

f:id:iVene:20220514232651j:image

(画像は1982年7月30日に屋久島の宮之浦林道で採集されたという日本国産ミヤマクワガタ♂個体の頭部。周辺の黒島などには居るが、一般的に屋久島にはミヤマクワガタが分布していないとされる。コレは私が分類屋の友人からお譲り頂いたもので、氏の友人でカミキリムシに専門を置くH氏が採集した2個体の内の1頭との事。もう1♂は比較的状態が良く中型の細っこい型をしていた。また2個体が得られたポイントは別な場所であった。屋久島にミヤマクワガタがいるのか。分類屋の友人によるとH氏は嘘を吐くような人間では無いと云われる。ふうむ、当時に誰かが別産地から屋久島に運んで脱走したとかが原因の偶産だったのだろうか。こういう場合は現地での再調査が必要になるものだが、長年沢山の人達が調べている屋久島でこの2個体しか見つかっていないというのは判断が難しい)

 私自身"未知の知"を考えるキッカケとして最も大きな衝撃を受けた最初は学校の教科書であったと回顧する。教科書という本は子供時分には絶対的であるかのように教育される。だが其れは権威主義的な思考でしかなく「実態は知らずとも教科書に書いてある事ならば信用出来る」等という後件肯定の誤謬であるとも解釈可能だった。

後件肯定(こうけんこうてい、英: Affirming the consequent)

この形式では前提が真であっても結論を導く推論の構造が正しくない。「後件肯定」の「後件」とは、大前提(条件文)の後半部分を指す。小前提は後件を肯定しているが、そこから大前提の前件を導くことはできない。

後件肯定は演繹としては間違った推論方法であるが、アブダクション(仮説形成)においては必須で使われる。この仮説の孕む可謬性は、仮説が静態的に固定的に示されるのではなく、遡及推論的に、試行錯誤的に、自己修正的に、動態的に示されるということで消失して行く。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E4%BB%B6%E8%82%AF%E5%AE%9A

 よく思い出してみれば高校からの教科書と其れ迄の教科書の情報的繋がりは非常に希薄であった覚えがある。"学校で付いていけなくなった人達"に色々聞いてみると「高校から付いていけなくなった」と話される人達が割合多かった。文章を覚え論理をボンヤリ理解するだけの作業しか無い義務教育課程からして、なんだか非日常的であった覚えもある。そんな状態で繋がりの無い課程に入れば当然のように落ちこぼれる事になる。塾で攻略法を買わなくては学歴を得られないように誘導される。

 奇しくも其の頃は「裏口入学」や「縁故採用」が問題視されている時代だった。陰謀論は好きでは無いが財力だけはある人達というのはいつの時代も変わらず"キナ臭い"。無能なまま成り上がった人達というのは傍から見ても分かるように大成出来る器では無く早晩化けの皮が剥がれる。

http://shikatanaku.blogspot.com/2009/12/cgcgring-of-gundam.html?m=1

 所謂「参考書」を読むにあたっても其れは想像の域を出ないから普通は"参考・手掛かりにする迄"に留めて読むが、其れを物理法則くらいに絶対的な事かのような論調にして話す模倣者らが結構多い。

 教科書を読んで面白みを感じるのは大抵の場合に社会に出てからなのだが、なぜ学生の頃はあんなに"つまらないもの"に見えていたのか、其れはひとえに「信用出来なかったから」「納得出来なかったから」「読解だけから出来るイメージが曖昧で教科書だけだと"教科書が何を言いたいのか"を理解する予備知識が不足していたから」等、個々の持つ人生経験からの要因に尽きると考えられる。覚える事だけ得意な人達は学業は好きでやるが、現実との勝負となるといきなり庶民と変わらなくなるのも似た理由である。

 しかも大学に入ると結構いきなり「教科書だからといって鵜呑みにしてはならない」とか「偉い人の言っている事が全てではない」などと教えこまされる。実際に著名人が出鱈目を大拡散する事は少なくない。正直普通の人達にはついていけなくて当然という気しかしない。

https://twitter.com/terimakasih0001/status/1519605625398865920?s=21&t=rwgkTLF2kOwO0l72RNfLYg

 しかしだからといって全く何も信用出来なくなるのは疲労感がとてつもない。"教科書や論文は全く信用ならない"というのも極論であるし、其れらを理解しないと論文が書けない。私自身が猜疑心に呑まれていた時代は学生時分から結構長かったが実体験による学びを得れば徐々に自然現象を信じる事が出来るようになった。そして信じる事が出来る自然現象は記憶に残りやすい。

f:id:iVene:20220514202352j:image

(「Fujita, H., 2010. The lucanid beetles of the world Mushi-sha’s Iconographic series of Insect 6.472pp., 248pls. Mushi-sha, Tokyo.」より引用抜粋。科学的成果物で1位の評価を狙うのは国家間の競争としては当然であり2位なんて殆ど評価されない。日本という国は歴史的にみても世界の科学を牽引してきた事が無い。日本人はノーベル賞を取っている人数が比較的多いが其れは日本語と日本文化が科学研究と非常に相性の良い言語と文明社会をしてきたからで、英語など他言語的の壁などが原因で科学的な誇り由来の理解を持つ日本人は滅多に居ないから支援者は少ない。アメリカ合衆国やヨーロッパ諸国は科学を牽引してきたプライドがあるから先端科学に対する一般的な理解がある。だから日本人は科学研究に対する関心が薄いし成果も比較的センチメンタルな雰囲気のものばかりなのである)

 昆虫の分類学だったとしても実物を大量に観て自然界で起こりえたドラマを理解し初めて考察のスタート地点に立てる。だから網羅的観察も陸すっぽしていない人達が偉そうな態度をしているのを見る度に「やっぱり"見栄張りが目的なだけ"なのか」と、お察しするわけなのである。

https://twitter.com/tioffoa1iny67ll/status/1342856433453342722?s=21&t=rwgkTLF2kOwO0l72RNfLYg

 今代は娯楽ジャンルも活発である故にfictionableな作品を嗜む人達も多い。近世 - 現代では学校に通うよりも早い段階でそういう表現物に影響を受ける子供達が殆どだろう事は自明的である。だから教科書がどれだけ厳選された情報の詰め合わせであったとしても現実と想像の区別が困難な人達で社会は溢れる。そうして簡単に詐欺師や詐欺師に丸め込まれるような大人になる。

https://twitter.com/ugp32/status/1524043234384752641?s=21&t=o6r7NizAVtQGd3edmlX65A

 酷いものの極めつけは教科書にある歴史の虚偽記載である(想像だけで一次ソースとは全く異なる説明に変更されている)。

https://twitter.com/yukin_done/status/1456114139865051142?s=21&t=P10G3XC1IF5FDJFgkudt0g

 こういう掲載を防げていない時点で教科書の設計がハリボテであるとの理解が極めて容易である。結局は文章媒体、書籍媒体、当ブログもそうだが2次元的情報媒体、また写本的媒体を含めて人間のやる事なす事は全て疑われる要素をはらんでいる。根源的調査や実物・実態調査以外は信じる事が難しく"覚える事"すらままならない。

https://twitter.com/shiomadoushi/status/1468326802120908800?s=21&t=o6r7NizAVtQGd3edmlX65A

 そんな中で生きてきた人達に対して、あまり良い使い方をされない言葉に"ゆとり教育世代"というのもあるが、私は彼らの知能をそんなに過小評価していない。むしろ歯抜けの不足だらけな知識だけで無理矢理社会で戦わされているから結構な根性持ちだと高く評価する方が多い。団塊の世代らへんの人達よりもfictionableな情報に悩み、加えて実体験での知得に乏しいから思想は狂いが生じやすい。更に学習量も明らかに多く中身は"散乱した情報の詰め込み的"である。根性は強く多少間抜けで小狡い生き方を余儀なくされているのが「ゆとり世代」とレッテルを貼られた犠牲者達だと私は評価している。

http://deepyellowpigment.myartsonline.com/yk02.html

 ゆとり教育を押し通した政治家らというのはやはりアチラ側であったため「また"彼ら"のお仲間か」と察してしまう。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BA%E8%84%87%E7%A0%94

 "彼ら"は巧妙にミスリードを行う。"彼ら"のお仲間がやった迷惑極まりない過ちも頻繁に軽視される。

https://twitter.com/nhhidktbrkk/status/1524337574541619200?s=21&t=F7ZsHCAxkDWELJaP2OzYog

 某半匿名SNSで科学に模倣した明瞭な虚偽をバラまく著名学者らが大量にいるのも極めて簡単に分かるのだけど、やはり"彼ら"はアチラ側の政治家に近い。

https://twitter.com/cawaiikumasan/status/1524240316228059137?s=21&t=dj9hcwyBev2YnFvGAod_-A

 思考というか逆説的読解力に欠けた理系研究者というのも昔から沢山いる。論理の上では"説明が主たる目的"であるため前件否定は許さなれない筈だが、ルイセンコの擬似科学を盲信していた学者らが昔は一時代に沢山いたように人間という生物は不完全に塗れている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%B3%E8%AB%96%E4%BA%89

 私や私の友人は某其SNSについて「自己顕示欲を満たす為の道具。科学的興味を集めるツールとして一度の投稿で140文字位しか書けないSNSを使用しているのは"デマ拡散のリスク"を防ぐ気が無い事を意味している。」と批判する。

https://twitter.com/amajaamajaaanal/status/1524186961887776768?s=21&t=dj9hcwyBev2YnFvGAod_-A

 たしかに自己採集に拘る虫屋が信仰する著名人の論文には盲信的だったり、査読の有無に拘る連中がSNSにはクサイ事を書いたりしている光景なんて噴飯物でしかない。一貫性の無い主張は自己顕示が目的でしかない。即ち"彼ら"はアレな人達と分かってしまうのである。

https://togetter.com/li/1687318

 昔から我々が戦っているのは"分かりにくい虚構"であって"小中学生でも簡単に突っ込めるようなデマ"では無い。デマで世を乱す権威主義者らのヤル気の無い態度は"権威主義だから"必然的に生じている。

https://twitter.com/terimakasih0001/status/1525290550047350784?s=21&t=1gZScBfEq7unj-bLxeYyuQ

 さて、とはいえ私にとっての戦いはもう別の世界にシフトしている。進むべき道は誰も知らない先に。

f:id:iVene:20220514224745j:image

(コロンビアのHorridocalia delislei Endrödi, 1974:ヨロイカブトムシ♂53mm。これはカブトムシの中でも滅多に観る事が叶わない希少種で実際に10頭くらいしか見つかってないらしい。画像のボロ個体は其のコンデションから死骸拾いで採集されたと推察される。年間に0〜2頭の観察数で個体によってはライトに寄ってくるとか死骸拾い等がある。ホロタイプ1頭で記載された理由など以前の記事に分類の話を少し記してあるhttps://ivene.hatenablog.com/entry/2021/12/18/085426。またGenus Lycomedes Brême, 1844に近しい形態をしているから其方の属に入れるべき種なのかもしれない。日本国内だと故・永井信二氏もボロ個体を所有していたが愛媛大学に搬入する際に見なかったらしく例の事件で消失した可能性が高いと聞く。原記載論文はドイツ語だが当分類群に対して「醜い」だの「化け物」だのと破天荒な感想が記述される。記載者は特化したカブトムシの新種発見を喜んだような記述もあったが、なかなか奇抜で激しい感想である。まぁ何と言うべきか、最近の胡散草い"多様性"の枠外にある多様性を見た気分である)

【References 3】

Mizunuma, T. 2000. Stag Beetles II, Lucanidae. Endless Collection Series, volume 5, Tokyo, 101 pp.

Fujita, H., 2010. The lucanid beetles of the world Mushi-sha’s Iconographic series of Insect 6.472pp., 248pls. Mushi-sha, Tokyo.

Motschulsky, V. 1861. Insectes du Japon. Coléoptères. Etudes Entomologiques. Helsingfors 10:3-19.

Brême, F.M. De. 1844. Insectes Coléoptères nouveaux ou peu connus. Annales de la Société Entomologique de France. Paris (2)2:287-313.

Endrödi, S. 1974. Horridocalia delislei gen.nov.sp.nov. Folia Entomologica Hungarica, Budapest 27(1):49-52.

【近況】

 ミャンマー琥珀から"私の所有外にある間違いなくクワガタムシ科甲虫入り琥珀"が1点新たに見つかったという報を受けた。当記事で述べたように私の手持ちにあるミャンマー産クワガタ琥珀は11個だから、合わせて21個の白亜紀クワガタムシ科甲虫入り琥珀が見つかった事になる。いずれお目見えするか否か不明だが10mmあたりの変わったクワガタであるとだけ記す。

 ブログ活動を始めるまでは暫く新規情報が来ないでいたが今は面白い情報が入ってくる。当ブログの記事は基本的に日本語だが割とワールドワイドに参照されているらしく、同定が悩ましかったストック琥珀から識別出来る個体が増えたようである。