クワガタムシ科(Lucanidae)についての調査記録など

目的はverificationismに基づく原典検証・情報整理・批評説明。なお非営利・完全匿名を前提としています。

【雑談】虫業を本業にするのは危ない

 近年になって虫業で生計を立てようとする人が一気に増えている。たしかに成功者は羽振りが良くて憧れを集めやすいが、ほんの数年前までは数人しかいなかったのが今や売り手のレッドオーシャンを築いている。この歯止めの効いていない感じは危ない。

 私の知る限りでは過去活躍した虫屋というのは殆どが「副業」で虫をやっているか、潤沢な資金を持ち道楽で海外採集に行き、情報交換の機会を得るために採集品を売る・交換に出すという手法をしていた人達が最も活動の注目を集めていたように考える。余裕があったから詐欺をする必要が無かった人達であり、齎す個体群の質も悪くはなかった。バブル崩壊後の余韻「黄金期」であった淡い栄光の時代。

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(仮整形から全て直したヨーロッパミヤマクワガタグループ完成標本群。)

 だが所詮は虫を対象にしたビジネスなので、簡単にネタを盗まれる、博打色も強い、深く関わるには緩々な考え方の人も多くて逆に深刻に忌避される事も多い。昔から業界に残っている人達は相当メンタルが強いか、面の皮が厚いか、ブラック企業から転職出来ないタイプの性格のいずれかである。外面的な雰囲気が良さそうというだけの判断で参入しない方が良い。特に未だ学生だったり将来的に収入が見込めない人達は、貯金しないでお金を使い過ぎると命に関わると付記する(大変な目に遭った人、業者が何人もいる)。

 この業界は計画性が無い人達が多い。入って数年で転売屋になってしまう可哀想な人達が多い理由でもある。近い分野のポストドクターの収入はアルバイト以下である場合もある。社会に出て良い会社に勤める事が出来たとして、給料が良かったとしても闇雲に使っていたらチリも積もればですぐに首が絞まる。無計画故に退場していった同士が過去どれだけいたかと思うと、少し昔を思い出して懐かしい気分にもなる。大体、私の場合だとクワガタムシ標本を集めるのに25年少しくらいかけていて、大抵の場合はB品の安価狙いである。SNSで売り込みの激しい普通種にばかみたいな金額をかけていると、将来的に"希少種"の収集なんて絶対に出来ない。私などは過去にSNSメッセンジャーで現地キャッチャー達から大量の売りオファーをもらっていた事があるが「もう間に合っているから」と心苦しいながら全て断ってきている。どんな虫なら買ってくれるのかと質問されたら正直に私が未所有で必要な種を答え、そして絶望されてしまうというのが何度も何度もあった。闇の歴史である。クワガタムシ科の場合だと、昔は普通種の野外品は直接輸入された業者から入手すると安価で集められた。単純に飼育品では無いという確信の持てる個体が絶対に欲しかったので、今のような闇鍋市場になる前にと壊れた死骸でも沢山貰ってきている(※今とは違い当時の輸入業者らは生体で爆発的利益が上がっていたので死虫がサービスされる事が多かった時代である)。こうやって浮かせた資金で、どうしても高額で無いと入手出来ない希少種に手を出せるようになっていた訳である。いまの時代だとどうなんだろうか。黄金期であれば300万円くらいかければ、700〜800種を其々複数個体集める事が出来た。そこからは不人気だったグループを総浚いで補い1000種になるまでには5〜10万円クラスの種にも手を出した。そこからは最早1種追加するのにも苦労する時代であり、必死に誰も持ち得ないような種を集め、大コレクターの余品と交換していただいていたりした。だが1100種から1250種の間は更なる苦行が待っている。ラストスパートは1個体で10万円以上するものばかりだから、約1割の種数に6割以上の出費が飛んでいる計算になる。おそらく、現生種のクワガタコレクションに対して私がかけている金額は2300万円程度で、カブトムシコレクションに対しても800万円程度はかけてきた。私の友人達もそのくらいかそれ以上かけて大コレクターをやっている。どう足掻いてもこの辺りが天井で、先に進む事はほぼ叶わない。最して優先的に狙うは世界中の殆どの博物館や他コレクターらが持たない種の標本である。コレクションには演出不要の権威的個体が不可欠である。戦前から戦後の世界のクワガタムシ大コレクター第一人者であり分類の再検討をしようとしていた故・稲原延夫氏に言わせれば「他の追随を許さないコレクション」を目指されていた。私は現生種で世界に数頭レベルの種、または型の個体については1頭40万円に迫る出費をしている(越した事は無い)。だがこの現生種コレクションだけでも今の相場で同じ内容を再現しようとすると4000万円は下らなくなってしまう。虫入り琥珀コレクションも個体数が少ないが内容が内容なので原価のクセに合計で中古のランボルギーニ程度の出費になっている。虫入り琥珀をマトモな評価にして入れたらどうなるのか(手放す気は全く無いが)。昔のバブルに対して今の不景気は当然と言えば当然なので、今代の人達はこの記事でも参考にしてもらい、慎重になって、ゆめゆめ出費に気をつけられたい。

 また、虫業を本業にして成功している人はごく少数である。現地キャッチャーも存在しない未開の外国僻地、つまり極めてコストパフォーマンスが悪く結果が出るまで時間のかかる難易度の高い地域に湯水の様に資金と時間を投入し、そんな厳しい環境下で自身も採集をする人達。この人達のパワーは凄い。昆虫採集に集中し過ぎて崖から落ちて骨折しても結果をバッチリ出してくるほど仕事に対する真剣さが他とは違う標本商もいる(労災の懸念)。しかし、そんな命懸けの人達でも個人的にファイトマネー支援をしてくれる人達が支えてくれている程度で、派閥色の強くなっているこの業界では評価されにくいとリアルな話を記しておく。採集場所でも毒性生物や免疫の無いウイルス、また肉食動物や危険な地形、現地人対応など命の危険が幾つもあるほど大変だが、それだけやって日本に帰ってきても経済的に居場所があまり無く苦しいのだ。

 リーマンショック後に低迷が凄かった虫業界の頃「こんなの本業にすべきでは無い」と嘆いていた老舗業者達が居たのをよく覚えている。故・葛信彦氏のボヤキも沢山聞いた。近年はやや盛り返しの雰囲気もあるが、粗っぽい施術によるものという印象が強い。私などからすれば不必要な宣伝がある業界はバブル崩壊を彷彿とさせ、忌避してしまう。最低限の体裁を整えた方が良いと考えられる。

【Reference】

稲原延夫,1982b.クワガタとともに 40 年 . 昆虫と自然 , 17 (10): 18–23. pl.

【追記】

 赤裸々に書いたが計画性は本当に大切なので本当に注意されたい。コレクションなんて普通は無理をしてやる事では無い。

 世界的に見ても日本は恵まれているし、私も幸運に恵まれてきた(こういう事実羅列の記事投稿でしか還元出来ず申し訳ない)。しかし、それは全体から見れば普通の事では無い。

 私は20〜25年来仲の良い友人達(分類屋や標本商)との意見交換など遣り取りをしていて、若い人達の金銭感覚を心配する話題になる事が少なからずある。十分に資金がある人には言う事は少ない。しかし資金不十分なのに見栄を張る為にコレクターになろうというのは自殺行為に等しいので気をつけて欲しい。無理をしない、何もしないという事も一つの選択肢であり、其れを余儀なくされているならば慎重に生きた方が良い。私のSNS外での見立てからして、今の世の中で未来や将来に希望を持っている若い人達は割合少数である(見えていないだけで大多数かもしれない)。景気が昔のように良くなる前兆は、部分的にはあるかもしれないが全体を牽引するほどになるとは見えない。過去の過渡期に店舗を持つ業者がオンライン業者に淘汰されるのが早かった事が印象に深い。本当に困ったときでも業界内での助け合いはなかなか難しい。普段からバチバチに競合関係だった業者達の間に慈しみの手が繋がれた事も滅多に無い。小さな互助グループなど作っても結果的にはそんなに上手くはいっていなかった。虫業は娯楽ジャンルという立場の印象が強いため、他業界との関係性も景気変動の影響に対して相対的に脆弱である(普通の業界ならばそこまでの暴落や暴騰が起き無い)。奈良の某センターなどは象徴的であったが、それが消沈していった人々の残した姿である。

http://www.sam.hi-ho.ne.jp/h-yagi/naraoo_end.html

 かなり不可思議な話、私も今現在困っている事がある。ヨーロッパのある大学博物館の研究者らと論文を書こうとしていたのに、何度催促しても返事が来ない(コロナ関係の通知すら無い)。もう2年近く何のリプライも無い。別の博物館も関わる話なのでここまで待たされるのは困るのだが(困っている旨を連絡済)。。また他の博物館研究者とも論文の話をしていたのに私の画像依頼メールを最後に全く連絡が来ない。私だってそんなにされたら心配で疲れる。まぁそういう業界なのだ。

 個々により相応する状況が異なるだろうが、コストをかけ過ぎずに済む趣味で楽しんでいる人達の方が幸せである。

人間は自分で探し求め、発見したことしか長く覚えることはできないのである。
(ジャン・アンリ・ファーブル)