クワガタムシ科(Lucanidae)についての調査記録など

目的はverificationismに基づく原典検証・情報整理・批評説明。なお非営利・完全匿名を前提としています。

【第拾壹欠片】約1億年前・後期白亜紀セノマニアン前期のクワガタムシ科入りBurmese amberについて

 以下は私が破釜沈船の覚悟で入手に成功した11個体目のクワガタムシ科入り琥珀の左右触角※背面(全身は現状秘密)。※琥珀の真偽判定は、簡単に可能な方法(食塩水テスト、UVテストなど)では確認済。

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f:id:iVene:20211031152026j:image(見かけはGenus Paralissotes Holloway, 1996:ヒメコツノクワガタ属やGenus Colophon Gray 1832:マルガタクワガタ属に似た体長14mm程度のクワガタムシ。本体は殆ど変形が無いが代わりになのか樹脂のクラックが多い。またクワガタ個体には空気層が付着し一部の脚・触角が削られている。型としては1点モノで、他に見た事の無い外形のクワガタ。Caenolethrus属にも少し似ているhttps://unsm-ento.unl.edu/Guide/Scarabaeoidea/Lucanidae/LUC/CAE/Caenolethrus.html

 産地はミャンマー・カチン州タナイ。琥珀のクワガタは絶滅既知種との種内雌雄差か種内個体差か別種かの関係性判断は不可能である。ただし現生種とはいずれとも異なる。

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(体躯は殆ど変形が無く、虫の立体的な情報について極めて保存状態が良い。様々な虫入り琥珀を観ていれば虫の構造が保存状態を左右しているというより埋没時の樹液の粘性や水分濃度・浸透性に左右されているように見える。今回のクワガタに見るエリトラは歩行特化の現生種と殆ど変わらず、肩部周辺には後翅関節部収納の為の内部空間を確保する隆起があまり無い※飛翔行動を行う種のクワガタは此処でカミキリムシでも似た形になるように"ボコッ"と隆起する)

 此の琥珀のオファーで初見した時の私は流石に腰を抜かした。まさか白亜紀セノマニアンには歩行特化への体型に移行しているクワガタがいたなんて露ほども考えていなかった。複眼が比率的に大きく歩行特化のクワガタムシ亜科的な型は現生種にも殆ど見られない形態であったから感情的には"クワガタじゃない"と思いたかったが触角が完全にクワガタだった為疑いようが無かった。ミャンマー琥珀白亜紀アルビアン〜セノマニアンに固まった天然樹脂であるとの推定はCruickshank, R.D; Ko, Ko. 2003での報告や他知見等から信頼性が固い。エリトラ肩部周辺の三次元的な形から歩行特化のクワガタと分かる。これはこの時代のクワガタ既知種の変異の一つなのか、独立した未記載種の系統だったのか、約1億年も昔に絶滅されていると調べる術が無い。とりあえずマルガタクワガタ属(日本では属学名をそのまま発音するようにコロフォンと会話上よく呼ばれる)やヒメコツノクワガタ属に近い形態を持っている事は非常に興味深い。

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南アフリカテーブルマウンテン山頂にのみ分布するマルガタクワガタ属の1種Colophon izardi Barnard, 1929:イザルドマルガタクワガタ♀個体。マルガタクワガタ属は左右エリトラが会合部で融合し後翅は退化的である既知知見は有名。触角や顎など以外はセンチコガネ科甲虫みたいなシルエットをしている。最初に琥珀のクワガタを見た時は「コロフォンだ!」と目を見開き驚いた。琥珀中のクワガタは前胸背をはじめ体型がマルガタクワガタ属そっくりだったのである。とはいえ頭部先端が盛り出す感じはよく似ているがマルガタクワガタ属の方では触角第七節がよく肥大する点で琥珀中のクワガタと形を違える。また琥珀中のクワガタは複眼が大きい点でもマルガタクワガタ属と異なる)

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ニュージーランドに産するParalissotes planus (Broun, 1880):プラヌスヒメコツノクワガタも左右エリトラが会合部で融合し後翅は退化的である。加えて"眼角の張り出しが弱く複眼が大きい"型としては今回の琥珀に入るクワガタと唯一似る現生種である。だから逆にヒメコツノクワガタ属は白亜紀から殆ど型を変えていないとすら想起されうる。ニュージーランドのクワガタ群は小型種ばかりだが原始的なクワガタと比較する上で考察が捗る)

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ニュージーランド・チャタム島に棲息するGeodorcus capito (H.C.Deyrolle, 1873):カピトオオズコツノクワガタ。これも後翅は退化的で歩行特化のクワガタである。琥珀のクワガタはここまで大顎を発達させている訳では無いが内歯の形態や出方はよく似ている)

 アフリカ大陸と南アメリカ大陸が繋がっていた頃のアトランティカ大陸(西ゴンドワナ大陸)が約1億3千万年前にマダガスカルインド亜大陸・南極・オーストラリアを構成する東ゴンドワナ大陸から分離したという推定からすると確かにアフリカ南端でマルガタクワガタ属が特化している状況は其れより古い時代と思わせる。

 化石からの推定で、おそらくはゴンドワナ大陸の時点でクワガタムシ亜科としての形態的特徴をクワガタ科系統が獲得していて其れの最初がコツノクワガタやチビクワガタ、ヒメキンイロクワガタ、ルリクワガタの類でマグソクワガタ亜科からキンイロクワガタ亜科の変化を経てクワガタムシ亜科としての形態を獲得したと推測する。

 ニュージーランドのオオズコツノクワガタ類、ヒメコツノクワガタ類、またオーストラリアのコツノクワガタ類、オオコツノクワガタ類、更に南米のチリハネナシクワガタ属、ムネツノクワガタ類、サメハダクワガタ類は、それぞれ近しい形態をしているがアフリカ大陸は独立した時代が古く南米やオーストラリアと再結合・再分離を繰り返した痕跡が無い。ちなみにタスマニアのコツノクワガタ類と南アフリカのマルガタクワガタ属種は少し似た生態をしているみたいで日中の霧がかった涼しい気候で活動するという話。

https://m.youtube.com/watch?v=gQqQhZp4uG8

(上記プレートテクトニクス予想動画は私の見知るなかで最もしっくりくる推測に見えるが60〜40MYAにはインド亜大陸がユーラシアに繋がっていたと私は予想する。アフリカ大陸とユーラシアの間にあるヒビ割れやインド亜大陸がユーラシア南端を押し込んだ痕跡はチベットで明瞭に残り、スッポリ入るようなスペースが用意されていたというのは違和感がある。他の予想図では70〜60MYAあたりで中東付近の陸地がバラけるが、其れは恐竜絶滅の主因となった隕石衝突による破壊跡で推測しづらくなっているからと考えられる。実際に始新世のヨーロッパの一部エリアが現在より南側10°〜低緯度にあったとの説もあるhttps://en.wikipedia.org/wiki/Messel_pit

 インド亜大陸に乗ってユーラシア方面へ侵入したクワガタ群は既に赤道付近の高温下で爆発的な巨大化・形態変化を起こしていて古い形態のクワガタはマグソクワガタ類やイッカククワガタ属、ツヤハダクワガタ属、ルリクワガタ類くらいしか残っておらずインド亜大陸から南アフリカまで南下したとは考えにくい。

 南アメリカ大陸とアフリカ大陸が分離以後にノコギリクワガタ属等が大挙してインド亜大陸からアフリカに侵入しただろうがユーラシアとインド亜大陸が繋がるより前の時代は独立したアフリカ大陸には原始的な種群しか居なかったと考えられる。つまり、この琥珀の祖先個体はマルガタクワガタ属の祖先種に近縁な個体だった可能性がありえる上、1億3千万年前より古い時代に独立していた可能性が高い。

 最近の知見にある系統樹によれば80MYAあたりにマルガタクワガタ属とヒメキンイロクワガタ類が分化したという推測がなされているが其れは見つかっている琥珀群から否定されうる説となった。実際は白亜紀セノマニアン前期より古い。やはり僅かな遺伝子配列と資料として低品質な化石を用いて恰も網羅したような系統樹を作り出すのは無理がある。資料一つで瓦解する論文は書くべきでは無いだろうが、こと生物分類学に不明瞭な研究を系統樹や絵・偏った情報表記、冗長的な長文で"煙にまく手法"は大流行りな現状であり、そういうのを査読者等に見極めろというのは流石に厳しいから、最初から上手く表現されていなくては再現性を確認されない懸念を査読や編集部も注視しておいた方が良い(粗っぽい知見を擁護するならば「他の論文もアレなのばっかりだから流されちゃうよね」というコメントくらいしかない)。昆虫類の分類で直接的な"種の隔離の因果関係"を持つか否か分からない遺伝子配列の差異が、どう種分類に関わっているのか明確に示せている論文は無い。強弁する論文は全て乏しい根拠からの論調でありながら"其れで必要十分"という感じの断定的表現がなされてある事は読者をミスリーディングな理解へ促すという意味で倫理上根深い問題である。

https://hibikore-tanren.com/necessary-sufficient-condition/

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(オーストラリアの一部で局所分布するSafrina jugularis (Westwood 1863):ユグラリスツヤムナコブクワガタは一見では飛ばないクワガタに似るが実際ではよく飛翔する。一見では形態的に歩行特化に見えるから飛翔の生態は関西在住の"採集の神様"ことM氏を現地観察にて驚かせたという逸話がある。念のため後翅を出してみると其れは立派な翅をしている。同M氏は「エリトラ肩部あたりが"撫で型"になる種は後翅を退化させていて、肩部近辺に張り出しの有る種は後翅があるから飛翔出来る」との説を私に話してくれた。左右エリトラを開けて後翅の配置を観てみれば後翅関節部の収納スペースの影響でエリトラの肩部が張り出している事が分かる。ムナコブクワガタ類は現在2属に分けられておりオーストラリアのみに特産する。形態的要素からコツノクワガタ類とヒメキンイロクワガタ類が分かれた後辺りに分岐した系統であると考えられ、シワバネクワガタらしさも垣間見える)

 ウメダギアナクワガタの後翅もやや退化的で肩部付近の隆起は控えめ。

https://ivene.hatenablog.com/entry/2021/12/30/235901

 また同琥珀内には1mmに満たないハネカクシ科 (Staphylinidae)? 甲虫や10mm程度のツツシンクイムシ科(Lymexylidae)†Cretoquadratus sp.(?)の甲虫が同封される。

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【References】

Cruickshank, R.D; Ko, Ko. 2003. "Geology of an amber locality in the Hukawng Valley, Northern Myanmar". Journal of Asian Earth Sciences. 21 (5): 441–455.

Holloway, B.A. 1996. Two new genera of New Zealand stag beetles previously treated as Dorcus MacLeay and Lissotes Westwood (Coleoptera: Lucanidae). New Zealand journal of zoology 23(1): 61–66.

Tabana, M., Okuda, N., 1992. Notes on Nicagus japonicus Nagel. Gekkan-Mushi 256, 4-10.

Mizukami, T., and Kawai, S. 1997. Nature of the South Africa and ecological note on the genus Colophon Gray (Coleoptera, Lucanidae). Gekkan-Mushi 2(Suppl.), 1–80.

Gray, G.R. Griffith & Pidgeon. 1832. The animal kingdom arranged in conformity with its organization by the Baron Cuvier. Insecta. London 14(1):1-570.

Barnard, K.H. 1929. A study of the genus Colophon Gray. Transactions of the Royal Society of South Africa 18(3):163-182.

Broun, T. 1880: Manual of the New Zealand Coleoptera. Colonial Museum & Geological Survey Department. Wellington, James Hughes. xix+651 pp.

Parry, F.J.Sidney. 1873. "XII. Characters of seven nondescript Lucanoid Coleoptera, and remarks upon the genera Lissotes, Nigidius and Figulus". Transactions of the Royal Entomological Society of London. 21: 339.

Westwood, J. O. 1863. Descriptions of some new exotic species of Lucanidae. Transactions of the Entomological Society of London, Series 3, 1, 429 - 437, pl. 14.

Cai, Chenyang, Zi-Wei Yin, Ye Liu & Di-Ying Huang. 2017. Protonicagus tani gen. et sp. nov., the first stag beetles from Upper Cretaceous Burmese amber (Coleoptera: Lucanidae: Aesalinae: Nicagini). Cretaceous Research. 78. 109-112.

Grossi, P.C., and M.J. Paulsen. 2009. Generic limits in South American stag beetles: taxa currently misplaced in Sclerostomus Burmeister (Coleoptera: Lucanidae: Lucaninae: Sclerostomini). Zootaxa 2139: 23-42.

Kim SI, Farrell BD. 2015. Phylogeny of world stag beetles (Coleoptera: Lucanidae) reveals a Gondwanan origin of Darwin’s stag beetle. Molecular Phylogenetics and Evolution 86: 35–48.

Reid, C.A.M.; Beatson, M. 2016. Revision of the stag beetle genus Ryssonotus MacLeay (Coleoptera: Lucanidae), with descriptions of a new genus and three new species. Zootaxa, 4150(1): 1-39.

【追記】

 推定約1億年前の白亜紀セノマニアンのクワガタムシ白亜紀に人間が居た形跡は皆無であるから間違いなく自然界で創出されたクワガタムシ。人の手がついていない自然から学ぶ事は人間がアレコレする"作り話"よりもずっと多い。熱く延々と語れる自然は素晴らしい。知らない間に探究心に対するrequirement何なのかも分かってくる。

 かなりの貴重な資料だからオファーがあった事自体に色々言いたい事があったが出品者にも事情があるのだろうと察し、また別に渡るリスクもあったから"ここは観念して自前にしておくべきか"と考え入手を決意したもの。これも相当な額のオファーから入手した琥珀だった。クワガタにしては見慣れない形態だが触角がクワガタムシ亜科的形態を示していたのも入手理由の重要な一要素。しかし前回の琥珀に続いたものだから大出費が私に大打撃を及ぼした。

 しかし現地から届くと想定していたより色々削れている事が分かった。出品者は「少し脚が削れているから安くした」と言っていたが、確認した所では脚の何本かは豪快に削れ右側触角も削れていた。ミャンマーの現地では大量の琥珀欠片をトリミングマシンを使って大急ぎで研磨しているからそうなるんだろう。大抵の琥珀原石は石ころと見た目あんまり変わらず、削って研磨してからでないと中身が見えないので、どうしても対策が難しい(バルト琥珀の場合は海中で表面が削れているものもあるが)。まぁ殆ど変形の無い大型のクワガタ入りミャンマー琥珀は初めて見た個体でもあり、そういう意味では極上の資料。ギリギリまで削られているから見える部位も多いというのもあるし贅沢を言っても仕方ない。

 色々あるが此の琥珀のクワガタからは色々な事を想像させられる。なんとも変わった不思議なクワガタである。替えの効かない資料だから多少頑張って入手していて良かったとも考えられる。

 ちなみに一連の白亜紀のクワガタ観察から、参考になりうる図鑑として以下の書籍が挙げられる。オセアニアのクワガタ群は原始的形態をしている種が多い。クワガタ各種標本図は殆どの種で背面図しか無いが触角などは詳細まで見る事が出来る点で外形的概要を知る上で使用性がある。

http://kawamo.co.jp/roppon-ashi/sub516.html

【References 2】

Luca Bartolozzi, Michele Zilioli & Roger de Keyzer, 2017. The Stag Beetles of Australia, New Zealand, New Caledonia and Fiji.

George Hangay, Roger de Keyzer, 2017. A GUIDE TO STAG BEETLES OF AUSTRALIA.

【雑記・収集の動機と目的】

 殆ど誰しも虫界には趣味趣向の延長から入り趣味嗜好になっている訳だから動機がある。そして目標や目的がハッキリしていればドップリハマる。とりわけクワガタムシ成虫の見た目は相対的な感覚なのか不思議な話だが子供の頃の純粋無垢な感性に強く訴える魅力がある。私の場合も例に漏れず他の虫に比べてクワガタムシやカブトムシの仲間というのは見た目に本能的な親しみ(人や犬猫に対するものとは異なる)があってハマったという最初があった。だからいまなお狂ったように調べているのかもしれない。始めたのがもう四半世紀くらい前なのかと思うと文献にも残らない様々な歴史を思い返す。私が参入したか未だしていないかくらいの中途半端だった頃いまなお続く老舗標本商のとあるビルでカウンターにいた店員氏に対応していただいたのを覚えているが其の御仁は後年独立し業界で大活躍をしている大虫屋になっている。未知エリアの自然界を開拓し新種を次々発見するなど抜群のセンスを持たれる大採集家の一人でもあり、資料個体に付くデータの正確性について語ってもらうと其れは熱い。現地調査の重要性や難易度について多くの事をお教えいただいた。

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(画像は約四半世紀前に件の店舗で買った古い個体で其れ以後そのまま未だ姿勢を全く弄っていない※時が来ればやる。あの頃の業界には僅か数える程度のルートから齎される野外個体しか無く混乱する事も全くなかった。当時の店内はライトもLEDではなく少し暗い宛らバーのような雰囲気だった。飼育など全くされていなかった頃のカンターミヤマクワガタやヨーロッパミヤマクワガタ個体群が並んでいたのを思い出す。其の数年後に少々知識のついた私が再度遠出してまで見たかったウエストウッディオオシカクワガタは野外採集個体群が非常に少なかったらしく其の場で観る事は叶わなかった。後に大コレクターに見せていただくのだが昔はウエストウッディを観るなんて事自体大変で個体があっても秘蔵というのが当然の風潮であった。個人的知見だが時代の移り変わりを感じさせる)

 始めて以降、私の場合だと標本を集める動機は"①調べたいから"*"②なるべく借りたくないから"の2点に尽きる。最初は確かに"見栄え"に釣られたが其れだけだと簡単に飽きてしまう感覚から不安があったから調べる事を目的にしたというキッカケが図らずも長期化させたという話もある。私は自身の飽き性を自覚していたから理解出来ない対象にはすぐに絶対飽きる自信があった。とはいえ資料が自身にとって安ければ良いが昔はそんな話もなかなか無なかったし見た目だけで良いなら身分不相応な金額を支払ってまで無理をして実物を買わずに図鑑を眺めるだけで十分満足出来る(私がブラック企業勤めだった頃は「碌な投資も出来ない虫屋など業界にとっては邪魔なだけ」と自己批判し業界から撤退を考えすらするくらいだった)。また様々な事を理詰めに考えた方が明らかに飽きない。私の場合だと偶然近くに住んでおられた世界のクワガタムシ大コレクターである御仁のコレクションに相当感銘を受けて参入を堅くしたが勿論他の先輩大コレクター方からも影響を受けてきた。関西圏には1200種前後のクワガタムシ科甲虫を収集している人物が5人もいて全部のコレクションを合わせれば1500種近くなる見通しがある。また日本には有名なクワガタを扱う図鑑がいくつもあるが大コレクターのコレクションには掲載されていない標本が沢山ある。だから大コレクター達の殆どは分類学の発展に貢献され彼らも其の自負がある。虫談義的な議論をすると面白い昔話が沢山出てくる。更にとりわけ影響を受けたのが現在世界のクワガタムシ科甲虫1300種以上に亘り交尾器と外形を調べ相関を確かめクワガタムシ科分類の先駆的な研究をする大コレクターの御仁である。網羅的に調べる事によって新種発見する前段階作業の重要性や種概念を理解する事の分類学的面白さ・大切さを多岐に亘りお教えいただいた。

 今代は昔の私が思い描いていた期待に反し「虫と言えば値札が付く」と思われがちなのだが、とはいえ"標本というのは本来ならば自然界にて採集で得るべきものである"とは多くの虫屋が昔から伝統的に大切にされてきた考え方。実際にはどうしても不足する資料を金銭で買い取るという手法が後追いで発展してきた。自国産の虫は大抵の先人達が割と採集してきているし、そういうのにご執心な方々は沢山おられるので採集スキルに乏しい私が割って入っていく余地はあまり見えない。一方で外国の虫は調べきられていない事が沢山あったから"コレは裾野が広い"と見え私ものめり込んでいった訳である。

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(メキシコ・トゥクストラ産エレファスゾウカブト野外奇形♂個体。2〜3年前くらいだったか、ebayで350~400USDくらいの即決で出品されたのだが全然落札されず勿体無い気分もしたから私が落札した。実物を見てみれば「やっぱり面白い個体じゃないか」と感動があったから何で誰も買わなかったかは謎のままである。同産地で沢山見られる種の虫だが野生下で見られる明らか且つ美しい奇形というのは大体の場合"唯一無二の特別な型"である。自然界で起こる事の面白みも標本として残りうる)

 前述のように私の場合だと現地採集には滅多に赴かず「虫を好む」と言いつつ恥ずかしながらフィールドに出た回数は100回にも満たない(※通勤時や通学時の虫観察はカウントに含まない)。都市圏にある私の住居の近隣は昔ならば虫が沢山いたのだが、日本人の平均的な感覚よろしく虫嫌いな住民が多いので薬剤散布が定期的に行われ今は虫が少なく観察が難しい(殆ど二次的な人工林だから放置すると害虫だらけになってしまう対策が必要という事情はあるのだが)。遠出して採集したい種のクワガタムシなどもいるのだが、いかんせん社会の束縛が邪魔をして出かけにくい。

 そのため虫は殆ど"買って調べる"という活動が私の生活習慣の一部になってしまっているのだが都市圏だとどうしても虫を集めるのには販売を行う標本商などの業者をしている人達から買取る率が上がる。2時間かけてコクワガタの採集に行くよりも連絡一本で済んでしまうが外国特産種のクワガタを買った方が研究には効率が良くなってしまう。ある意味なんともあっけない有り難みを感じない世の中とも言えるが、ここで浮上するメリットとして採集に行かない分デスクワークの時間は取りやすいから標本を作ったり分類を調べたりするのには多少都合がつく。

https://twitter.com/yangcai2015/status/1508005545982464007?s=21&t=n0lMvbvlWKKBsXc_IF0hbw

(このURLで公開されている琥珀の別角度画像は5〜6年前に私も貰っている。絵的には美しい琥珀だが、触角や腹節板が同定に必要なレベルに鮮明には見えないため絶滅したフンチュウの仲間かもしれずクワガタムシ科甲虫とは特定しきれないから資料にするには弱点が多い)

 とはいえやはり採集には憧れがある。何故ならば虫の様々な観察、あるいは生物学的な考察をしていくと連絡一本では済まされないような悠久の時を経て進化してきた事が何度も確認出来るからである。外形は殆ど変わらないのに交尾器だけ安定して異なる隠蔽種の観察は此の分野の研究の裾野に展望を開かせる。加えて地域変異への理解は種や亜種の分類とは異なる遺伝的要素があると理解を促す。知れば知るほど必要な情報が分かってくる。観察をすればするほど物事の理解が深まり、外国の遠く熱帯雨林や森林奥地にいる諸希少種を現地で観察してみたくなる。一つ一つのステップを踏む意味は"其れ"なのだと分かってくる。だから私からすれば採集にスッと行ける人達が正直なところ羨ましいし、好きとは言え外国僻地から様々なリスクやコストを乗り越え成果を出してくる様には大きなリスペクトがある。

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(インド北東部〜チベットからミャンマー、タイに分布するFalcicornis groulti Planet, 1894:グラウトコクワガタは地域により3亜種に分けられている※Falcicornis属の学名は別学名の亜属に分類されがちだが安定しない事と特化的な外形から当ブログではPlanet. 1894の原記載および中華鍬甲IIIに従い独立属として扱う。しかし原亜種とミャンマー・ザガイン州亜種の見分け方は難しい。何故ならば原亜種の基準産地に近いアッサム地方の個体群が極めて希少であり、新しいものを含めても標本が微量しか無いからである。記載文で原亜種に比べザガイン州亜種はエリトラ会合部が比較的暗色になる等が説明されるが原亜種でも暗色になる個体も存在する。また他の比較説明も微妙過ぎる。グラウトコクワガタ原亜種の個体群は古い標本が多く色褪せた状態であるか否か判断をつけにくいから生体観察が望まれる。グラウトコクワガタの3分類群は交尾器の種間的差異は認められないから同種内の関係ではある※外形もだが交尾器にも地域変異がある可能性があるから似ていればいるほど沢山の個体で比較しなくてはならない。タイ亜種もなかなか分かりやすい外見をしている。しかしミャンマー産は難しく、原亜種の地域変異だとしたらシノニムになる。小型種なので顕微鏡を覗いて観察すると産地により前胸背中央部などの点刻の大きさに差異がある事が分かった。しかし此のくらいの差異しか無い上、私が顕微鏡で観た基産地付近の個体はたった3頭。この程度の差異ではまだまだ比較に必要な個体数が不足している感じがある。だから現状では分類上の確定的な結果を出すのを保留としている

 外国僻地の奥深くで"採集をする側"も分類を調べる時間がそんなに無いから、私のような"先駆的に調べる側"へリスペクトを示してくれる。そして大コレクターと呼ばれる人達も"投資"という形で業界に参加してきた。だからお互いの信頼関係が様々ある。業界の信頼性という聖域はSNSが発展するまでには相当保守をされてきたが、どうしても"競争"が其れにダメージを負わせてしまう。横槍を入れてくるならばせめて大言壮語に見合うだけの努力はやって欲しいが、あまり期待しても疲れさせるだけであるからあんまり急かしたり要求し過ぎてもよろしくない現実的問題もある。

https://dime.jp/genre/1218896/

https://twitter.com/terrakei07/status/1380156612711739392?s=21&t=1E2hTEFq0wnP54PT25oplA

 しかし此の買取り習慣が当然みたいになってきた今代はやはりなんだか寂しい。トレーディングカードの売買みたいなやり方はやはり大した労力の成果には見えずモヤモヤする。それに加えてデータの危ない個体を収集品にコンタミしてしまいやすくなる不安を増大させる。外国での採集事情など詳しく知らない人達はどういう事か想像しづらい人が多そうだが深く鬱蒼とした原生林で自国内では見られない生物種がいる事を想像するだけで浸れる感傷はなんとも言いがたいほどロマンがある。また純粋な自然はそこにあるのだという確信の度合いも高い。未知或いは記録の少ない希少種昆虫を見つけ出すまでの労力は実際に現場まで足を運び探した人物にしか分からないのだから外野は過少評価をしてはならない。そこに横から相場云々の話をされると一気に情熱が冷めてしまう(まぁオーストラリアか何処かで目的の虫を見つけた瞬間「〇〇〇万円だー!」と叫んだ採集家が40年くらい前に居たという話も聞いた事があるが)。私の場合は何の売り文句にも流行りにも惑わされず欲しい資料を集める活動になるべく終始していたい。だからあまり突っ込んで因果関係の希薄且つバイアスありきの予断で豪快に外されたような言を見かけると鼻に付く。

https://twitter.com/terrakei07/status/1510818720150528005?s=21&t=p_vLRkOyXHF-WxxIgOC_DA

 また他方でコントロールとして野外個体を一通り調べたり揃えずに飼育個体のみで考察するのは純粋な考察をしていないという前提があるが憚らずやる人達は多い(しかし「見れないものを見ろ」と言っても困らせるだけだからあまり責める事は出来ないのだが、考察に使われている死虫の姿勢や図示の様子を見れば簡単に出来る修正をしないプレゼン者達の主観的誤謬を察し鵜呑みにしてはいけない事を容易に察せる)。希少種の野外個体の観察が難しいのは世の中のしがらみというのもあり、そうホイホイと図示されない事の方が多いから、ただ断片的な情報を吸収しただけで気を大きくし誤った解釈を売り文句にする人達も多い。生物の学名を使用する上で記載文に不備が無いのか何も恐れない虫屋が沢山いるのは"やはり人間は人間"という事を思い出させる。そういう訳で自己相対化をしない人達の持つコレクションや資料は客観的に見れば不安を集めやすい。だから何をターゲットにして資料を集めれば良いのか、或いはどう考えれば良いのか人為依存的に見極めるのはバイアスだらけになる懸念を考慮せねばならずとても難しい。

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(インド北東部アルナーチャル・プラデーシュ州東部のみに分布するLucanus rondoi Okuda & Maeda, 2018:ロンドミヤマクワガタ。画像にあるような野外個体群は貴重な資料である。原産地エリアで発見されている個体数が少ない事から分かるように野生下ではなかなか得られない。初めて此のミヤマクワガタを見た時の感動は凄まじかった。「なんて綺麗な形をしているんだ!」と。特異的且つ線細く流れる流線形の大顎、控えめな内歯と其の個体変異、メアレーミヤマクワガタに近縁な系統でありながら種としての独立性も高く形態変化を遂げている。全体的に侘び寂びとし落ち着いた佇まいは自然界での永い時をかけて進化してきた事をわからしめる※私は侘び寂びとしたクワガタばかり好きだったりする。最近は飼育も流行り個体群をよく散見されるが、やはり野外個体とはなんだか雰囲気が違うような気分になる。自然界では高標高の特異的な環境を選んで生息しているミヤマクワガタ属の仲間は野外個体と飼育個体で型に偏りを違えやすい種が多い。だから飼育個体を元に色々な事を調べるにしても自然界本来の視覚的知見を得るには野外個体群資料が必須になる。飼育品をホロタイプにしてはならない理由のヒトツでもある)

 私の収集品は入手した時系列的に考えても全く問題無い標本ばかりと主観的には絶対的な自信があるようなものばかりだが、知らない人から客観的に見れば「其れは自信過剰だろう」と思われそうな不安がなくは無い。というのも単純に"人為的表現だけでは科学的知見を客観的に保証するだけの因果関係は無く信用されきれない"という現実的問題があるから自己批判的な姿勢と自問自答が欠かせない。昨今だと"印象操作だけで価値付けをしよう"とする人が少なからず増えているがフンワリとした印象だけでは"科学的資料としての信頼性"との因果関係が全く無いというのは少し自己相対化すれば見えてくる。如何なる界隈でもそうだが権威主義や党派性に陥ると観察・考察・論理性が"お座なり"になりやすい。虫の標本・コレクション・資料というのは自然界から切り取ってきた資料であるから資料信頼性の主体が自然界ではなく人としての所有者に移っている。つまり資料について自然界との直接的な繋がりがどの程度純粋な情報を持っているのか客観的には正確な判断をしづらい。"権威"は"論理性や真実"とは全く何の科学的因果関係も持たない。だから自己相対化を応用するとポツンとその場に虫があるだけでは客観的に何の考察の保証にもならない。しかし良い資料であれば確固たる再現性を自然界から得られる手掛かりにはなる。だから今の私は「間違いのない資料は自然界にこそある」と考えている訳である(放虫や移入の問題も考慮しなくてはならないが)。

【References 3】

Planet L. 1894. Description d’une nouvelle espèce de Lucanidae: Le Falcicornis Groulti. Le Naturaliste, (2) 8: 44-45.

Fujita, H., 2010. The lucanid beetles of the world Mushi-sha’s Iconographic series of Insect 6.472pp., 248pls. Mushi-sha, Tokyo.

N. Okuda & T. Maeda. 2018.  “A new species of the genus Lucanus Scopili (Coleoptera, Lucanidae) from Arunachal Pradesh, northeastern India” Gekkan-Mushi, No.569, pp.45-47.

Huang Hao & Chen Chang Chin, 2017. Stag Beetles of China III. 524pp. Taiwan.